パグ太郎の<昭和の妖しい映画目撃者>

昭和の映画目撃談&時々その他いろいろ

【2300年未来への旅】チープなSFマインドで作られた70年代量産型ディストピア映画

70年代って、やたらSFやホラー映画が公開されてた印象があります。

(90%がB級かC級でしたけど)

 

僕の通っていた小学校の掲示板に、何故か時々映画のチラシが貼ってあったんです。

それも意外に教育的な映画じゃなく、娯楽作品が多かったんですよ。その上、たまに「職員室に入場割引券あります」って書いてあった気がします。

きっと地元の映画館が、集客のために子供が好きそうな映画のチラシを貼らせてもらってたんでしょうね。

おおらかな時代でした。

 

そんな掲示板に貼られてた映画の一つが2300年未来への旅(1976年製作/1977年日本公開)

凄い邦題ですよね。

子供の目にも、完全に名作「2001年宇宙の旅」(1968)の模倣がバレバレ。

SF映画好きな子供は全員、間違いなく「そりゃないよ」と思ったはずです。

ちなみに原題は「ローガンの逃亡」。全然違います。

この時点でB級の臭いがプンプンします。

そんなバッタモノみたいな思い出の映画をレビューします!

 

(あらすじ)

遠い未来、人々はドーム都市で不自由のない生活をしていた。しかし30歳になると「転生」の儀式を受け、処刑→クローンとして赤ん坊からやり直すことを義務付けられていた。そんなドーム都市から逃亡しようとする住人を処刑する<サンドマン>である主人公は、管理コンピュータから密命を受ける・・・


www.youtube.com

 

この映画、公開当時は見ていません。

でも今回見たのは2度目。

実は数年前に一度見たんです。

 

そしてびっくりしました。

何がびっくりしたかっていうと、僅か数年前に見たはずなのなに、何一つ覚えてなかったってこと。

ここまで何も覚えてないのは珍しいです。

こんなに記憶に残らない映画があるのか?というぐらいです。

結論から言うと、一流にも成りきれず、かと言ってカルトになるほど酷くもなく、よくあるシーンとよくある話を寄せ集め、だから記憶に残らなかったようです。

 

管理社会の疑問点を描く、典型的な70年代ディストピア映画。

このブログでも「未来惑星ザルドス」(1974)や「ソイレント・グリーン」(1973)「ローラーボール」(1975)といった同時期に作られたディストピア作品を取り上げてきました。

あ、カルト作の「デスレース2000年」(1975)も忘れちゃいけませんね。

pagutaro-yokohama55.hatenablog.com

 

pagutaro-yokohama55.hatenablog.com

 

pagutaro-yokohama55.hatenablog.com

 

pagutaro-yokohama55.hatenablog.com

 

もうね、それらと比べると、とにかく安易というか、捻りも作家性もありません。

コンピューターに完全管理されたドーム型都市<シティ>で、30歳になったら「転生」(要は処刑され、遺伝子がクローン赤ん坊として引き継がれる)し、若者しかいない世界。

 

主人公はそんな管理社会から逃げ出そうとする住人を処刑する「サンドマン」。

それがコンピューターの秘密指令を受けて行動しているうちに、管理社会に疑問を持って、人間性に目覚めるんですが、これもよくあるパターン。

管理体制側の人間が、その管理体制に疑問を持つようになる展開は前述の「未来惑星ザルドス」や「ソイレントグリーン」「ローラーボール」、ちょっと前は「リベリオン」(2002)と、かなりあります。

 

管理社会描写のお約束として、誰も真剣な恋愛をしないのが当たり前。

映画が製作された70年代の風潮なのか、当時ディストピア映画によく出てくる「異性はやるためだけの相手」。

しかし未来社会って何で女性はすっぽんっぽんみたいな恰好してることが多いんでしょうか?いつも製作者(きっと男性)の理想が入り込んでるんでしょうか?

 

そこで逃亡希望者の女性と偶然出会い、愛というものを知った主人公が、真実に目覚め、本当の自由を求めるという展開もとっても70年代。

ジョージ・ルーカスの「THX1138」(1971)でも、このパターンは見られましたね。

 

この時代の管理社会の描写が似てしまうのは、誰もがジョージ・オーウェルの名作小説「1984」をお手本にするからでしょうか?

 

主人公が受けた秘密指令というのは、逃亡希望者の集団が目指す自由の土地「サンクチュアリ」を探し出すこと。

だけど、そのサンクチュアリがどんな場所か、具体的に説明はなし。

そのうち、仲間を裏切って本気で「サンクチュアリ」を目指す主人公が、仲間のサンドマンに追われるのが中盤の盛り上がりです。

ここはそこそこ面白いんですが、SF風味は少ないです。

 

数少ないSF風味の隠し扉もすぐに開いちゃうし、門番みたいなロボットは作りが雑で、す。

ちなみにロボットは銀のマスクみたいな顔なんですが、隙間から中に入っている人の肌が見えます。

これはちょっとなぁ・・・

 

ロボットを倒して、初めて外に出て、自然に触れる主人公達。

ここからはSFというより、冒険物になってきます。

そして、そんなこんなでたどり着いたのは廃墟となった街。

中に入ると、デカいリンカーン像が!

ここはワシントンだったのか!!!!

 

あ?、これ「猿の惑星」(1968)のパロディ???

 

このあとは昔の人の生活や結婚、家族、子育てはいいぞ、みたいになり、管理社会からみんなを解放するんだ!という展開に。

 

主人公たちが「やっぱり自然のままがいいよなー」と思うのは、「未来惑星ザルドス」を始めとする、ディストピア映画の定番ですね。

 

ラストは<シティ>をぶっ壊して終了。

しかし生活力のない若者たちが、自然の中で生きてけるのだろうか?と余計な心配をしてしまいました。

他のディストピア映画と違って、明確なハッピーエンドというのが目新しいですが、やはりディストピア映画ってやるせない絶望感のある終わり方の方が響きますね。

(これと並ぶ明確なハッピーエンドは「デスレース2000年ぐらいでしょうか)

 

あらすじも平凡で、唸らされるようなところはないし、SF的な発想やガジェットもチープ。

全体がどこかから借りてきたような印象です。

はっきり言えば、「今、ディストピア映画が流行ってるんだろ?」的な動機で作られたとしか思えないような映画です。

 

爽やか青年マイケル・ヨークが主人公を演じてるというのもあるんですが、主人公が悩んだり、矛盾に苦悩したり、といったダークな面が表現されません。

これはディストピア映画としては痛い。

肝である絶望感が全く出てないです。

 

まぁ、言い換えれば、そもそもディストピア映画ではなく、ただのお気楽極楽SF映画だと思えば、適材適所だったのかもしれません。

 

そう言えばちょい役でファラ・フォーセットが出てきます。

TV版「チャーリーズ・エンジェル」(1976~1981)世代はおおお、ってなりますね。

この映画の公開年月(1976年6月)から考えると、彼女が「チャーリーズ・エンジェル」で売れる前に出演したんでしょう。

 

ちなみにこの映画、視覚効果(特撮)で、アカデミー特別業績賞を受賞してます。

でもね、その特撮もミニチュアとマットアート(背景の絵)が中心で、古臭いチープさ。

同時代にはもっと水準の高い特撮もあったはずなんですけどね・・・

繰り返しなりますが、中の人がチラチラ見えるようなロボットが出てるんですよ。それで受賞はないでしょ????

 

更にSF映画/TVのアカデミー賞である「サターン賞」をSF映画賞を含む6部門も受賞してます。

その年はSF映画が不作だったのか?と思って調べたところ、「デスレース2000年」「未来世界」「地球に落ちて来た男」があるじゃないですか。

(カルト作「地球に落ちて来た男」はイギリス映画だから対象外なのかな?)

 

もっと驚くのは、アメリカでTVシリーズ化され、数年前にはリメイクの話も出ていました。

僕の見る目が間違ってるんでしょうか???

とっても心配になる映画でした。

 

Blu-rayはお手軽な値段で手に入るようです。