70年代ってディストピア映画が流行ってた気がします。
当時は公害問題や東西冷戦、フラワームーブメントの終焉などがあって、みんなが未来に不安を持ってたからでしょう。
(その頃、日本でも「ノストラダムスの大予言」が流行りましたねー)
そんなディストピア映画の一本が「ソイレントグリーン」(1973)
この映画を意識したのは、小学校の高学年~中学生でしょうか。
日曜洋画劇場や水曜ロードショーが「3週連続でSF映画特集!」と名を打って放映するラインナップの一本として何度か放映されてました。
そして気が付けばTVでも放映されなくなり、忘れ去られた映画になっているので、今回レビューします。
(あらすじ)
2022年のニューヨーク。爆発した人口のため、大半の人々は貧しい生活を強いられ、都市部はスラム化していた。配給制のビスケットのような合成食糧で人々は生きながらえてた。そんな街で、特権階級である合成食糧会社の重役が殺害される。担当した刑事は、何か裏があると睨んで捜査をするが、やがて捜査打ち切りの命令が出る・・・
小学生の高学年の頃には「デスレース2000年」(1975)を「死ぬまでに絶対見たい映画」に位置付けるほど、SF映画ヲタクでした。
なので「SF映画3連続放送」は絶対に見逃せない放送・・・・のハズでした。
でも、実際には3本のうち1本は見逃してるんですよ。
何故か眠くなって寝ちゃうんですね。
「ソイレントグリーン」もそんな、常に眠気に負けて見そびれる不運の映画。
ちなみに他の不運な映画は「地球最後の男オメガマン」(1971)と「猿の惑星」(1968)。
どちらも目が覚めるとラストシーンになってるんです。
主人公が吸血鬼に刺されてるとか、自由の女神が砂浜に埋もれてるとか。
話の展開は分からないけど、オチだけ知ってるという、映画にとって一番ダメな見方です。
今、書きながら気づいたんですが、この不運な映画って、全部チャールトン・ヘストン主演!!!
これは偶然でしょうか?
「十戒」(1956)「ベン・ハー」(1959)など、歴史劇・文芸作と格調の高い映画のイメージがあるチャールトン・ヘストンですが、この頃はSF映画にちょこちょこ出てました。ちなみに70年代半ばからは、今度はブームに乗ってパニック映画に結構出てました。
実は節操のない人なのかもしれません。
そんな彼が主演したこの映画の原作は、ハリィ・ハリスンの「人間がいっぱい」(原題は「場所を空けろ!、場所を空けろ!」)。
このタイトルから分かる通り、爆発した人口と極度の貧富の差、食糧不足がテーマです。
映画自体スケール感もあり、ディストピア的な雰囲気作りは悪くないです。
話はオースドックスな刑事&推理ドラマなので新味はありません。
ラストのオチも当時は驚愕の真実!とか言われてましたが、今の目で見ると「さもありなん」というところです。
まぁ、この手のディストピア映画の筋立ては、ディストピア感を観客に伝えるための装置だと割り切ることが出来るから、これはこれで及第点だと思います。
だが、しかし、そこまで揃っていても、映画としてのディストピア感がうまく伝わってこない。
それは全て、主演のチャールトン・ヘストンのせいです。
チャールトン・ヘストン演じるには、下層階級のしがない刑事という設定。
家は狭く、汚く、他の庶民と同じくまともな食事がとれません。
勤めている警察署も、署長の椅子が綻びているほど予算がなさそうです。
そんな現実に押しつぶされそうになりながらも、真実に迫っていき、最後のやるせない真実に絶望する、というのがこの筋立ての上での理想的なキャラ像。
現実社会に半分諦めた醒めたところがあっても良いです。
でもね、この映画のチャールトン・ヘストンは、まるで当時ヒットしていた「ダーティー・ハリー」(1971)や「フレンチコネクション」(1971)を意識しているかのような、ガサツなタフガイっぽい刑事を演じてるんです。
例えば事件で知り合った女の子と寝たり、疑わしい奴の家でわざと憎まれるような態度を取ったりと、ハードボイルドっぽいことをするんですが、これが似合ってない。
大体、最初に殺人現場(被害者のマンション)に来た時に、いきなり被害者の物をちょろまかしたりするのんですよ。それぐらい庶民は貧しいアピールかもしれないけど、主人公がやっちゃいけません。
めっちゃ小物に見える。セコい!
ハードボイルドの刑事たちは「悪を追い詰めるためなら手段を択ばない」っていうガサツさであって、私利私欲を満たすガサツさじゃないんです。
でもこの映画のチャールトン・ヘストンは物をチョロまかすのも、女の子を抱くのも私利私欲っぽいんです。
更にディストピア物って、主人公が世界に逆らってでも自分の信念を持って生きようとする姿があるからこそ、彼の周りの閉鎖的な行き詰まり感が浮き上がるんじゃないでしょうか。
でもこの映画の彼はただ「俺を舐めるなよ」って程度。
これじゃディストピアで抑圧された人間でもなく、ハードボイルドのタフガイでもない、ただの能無し筋肉バカにしか見えません。
こんな主人公を通してディストピアを感じろっていうのは無理な話。
「ソイレントグリーン」はチャールトン・ヘストンじゃなければ、傑作に仕上がっていたかもしれません。
役作りには同じタフガイでも、ディストピア世界の主人公を見事に演じた「ローラーボール」(1975)のジェームス・カーンを見習って欲しかったです。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
まぁ、チャールトン・ヘストンを主演にしている時点で、製作者の狙いは「ディストピアを見せる」のではなく、「ディストピアでスターが大活躍!」だったんでしょう。
だから監督も典型的な娯楽映画の職人リチャード・フライシャーが選ばれたんですね。
その時点で思想とか、哲学を持ち込むようなディストピア映画を期待してはいけなかったてことです。
反対にディストピア映画として見なければ、無難な小規模SFドラマです。
ただの映画からディストピアを抜いたら、SF映画にする意味は全くないですけど。
とにかく昔から期待していただけに、とっても残念な映画でした。
「子供の時に見れなかった面白そうな映画」っていう思い出のままにしておいた方が良かったですね~。
ポスター(DVDのジャケットも同じ)もかっこいいんですけどねー。
そういえば、金持ちの家にいる美人は「部屋に備え付けの家具」という位置付けだったのは、ちょっと面白いと思いました。
主人公が彼女に「(家主が死んだから)これからどうするんだ?」っていう訊くと「新しい家主がそのまま(私を)置いてくれるみたい」といった発言がありました。
今ならセクハラ、女性蔑視と言われちゃいますかね?
キャストネタでは若き日のチャック・コナーズが悪役で出てました。
名を残すような俳優ではないんですが、日本のSF映画「復活の日」(1980)の潜水艦の艦長役が印象に残ってます。
あと冒頭であっさり殺される金持ちは往年の名優ジョゼフ・コットン。
僅か数分しか出演シーンがないのでカメオ出演みたいなものでしょうか。
彼を見ると、映画好きだった母親が彼が出るシーンでは必ずに「ジョセフ・コットンなんて、顔はいいけど大根役者。名優なんて褒めすぎ」と言っていたのを思い出します。
この映画のDVDはお手頃で手に入ります。