70年代のB級SFで、何故か記憶に残ってるのが「ドクター・モローの島」(1977製作/1978日本公開)
原作はH.G.ウェルズの古典SF「モロー博士の島」(1896)。
今までに3回映画化されてます。最初が「獣人島」(1933)、二回目がこの映画で、三回目は「D.N.A./ドクター・モローの島」(1996)。
この映画は公開当時、岐阜の自由劇場という映画館で見ました。
記憶に残ってるっていうクセに、いつものことながらあまり記憶にないんですよね・・・
記憶にあるのはラストシーンだけ。
そんな人気原作(?)の映画化をレビューします。
(あらすじ)
20世紀初頭、難破した船から救命ボートで脱出した主人公は、ある孤島に流れ着く。そこでモロー博士という人物に命を救われる。この島にはモロー博士、彼の養女である若い女性、元傭兵という男、そして不気味な下僕しかいないと言われる。彼は晩餐の後、好奇心からモロー博士の書斎に入り、そこで彼が行っている実験を知ってしまう・・・
岐阜での初公開時は勿論、二本立て。
併映は「続・恐竜の島」(1977)でした。
「続・恐竜の島」もエドガー・ライス・バローズの古典SF「時に忘れられた人々」(1971)です。
同時上映が「続・恐竜の島」っていうのは、明らかに子供狙いっぽい組み合わせです。
さて、映画はミステリアスな雰囲気で始まり、すぐに核心をつく展開に。
下僕は明らかに人間じゃない雰囲気を醸し出してるので、半獣半人がテーマなのは予想出来るんですよ。
でも普通、半獣半人と言えば、人間に動物の要素を加えるのが普通じゃないですか。
「人間にはない能力をお前に与えてやる。お前は人を超える新たな人類となるのだ!」
って、マッドサイエンティストの常套手段ですよね?
ショッカーだってそうしてるし。
でもモロー博士は一味違ったんですよ。
「私は動物を人間にする実験を行っている」
これ、結構衝撃です。
コペルニクス的発想?
「お前らは人間なのだ。人間らしくしろ。」と獣人たちを教育するモロー博士。
獣人の中に学級員みたいな獣人がいて、動物に戻る欲望に駆られると、「私たちは人間。人間は手をついて歩かない。人間は他人を傷つけない」と唱えてるんですよ。
これ、宗教ですね。
物語の大半は、
「人間になりたい獣人たち」
「獣の本能で生きたい獣人たち」
「厳しく接することで獣人を人間にしたいモロー博士」
「モロー博士の実験には共感できないけど、かと言って獣人にも肩入れ出来ない主人公」
の4者の思惑が絡んで、破局に向かっていきます。
そもそもモロー博士って鞭を使って獣人を人間のように振舞わせるんですよ。
ってか、それって獣人をケダモノ扱いしてますよね???
完全に動物に芸を仕込むサーカスの団長です。
(本人は否定するだろうけど)
そんな自己矛盾をはらんだビミョーなバランスの島で、ちょっと正義感を振りかざすような、振りかざさないような主人公が引っ掻き回す(?)ことで、バランスが崩れます。
やがてモロー博士が詰め寄る獣人たちに向かって銃をぶっ放して殺すと、「なんだ、人間だって他人を殺すんじゃないか」となり、獣人たちが納得のいかないご様子。
だったらお前も死ねや!とモロー博士を殺します。
まぁ、ケダモノ扱いした報いですね。
主人公は救命ボートで、ヒロインを連れて脱出します。
そして遠くに貨物船が見え、「助かったよ!」と喜ぶ主人公。
その声に俯いてたヒロインが笑ってるような、笑ってないような表情で主人公を見るシーンでおしまい。
え?
え?
え?
エンディングが僕の記憶と違うんですけど。
これは記憶違いか????
僕が見たエンディングは、「悪魔の植物人間」(1974)でも使われてた、「助けた思ったヒロインが実は怪物になっていた」だったんです。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
俯いたヒロインが顔を上げるまでは一緒なんですが、その顔は目が猫目になり、口に牙が生えつつあるというもの。
要は彼女は豹から作られた獣人だった、ってオチです。
そう言えば彼女は島にいる時は豹をペットにしてるんですよね。意味深。
まぁ、好きになった彼女が実は豹でした、って分かった主人公は超ビックリです。
なんたって島にいる時に、ヤッちゃってますから。
俺、豹とやったのかよーーーー。
ショックですよね。
さて、この記憶違いは調べてみると、「ヒロインは豹でした」というバッドエンドは日本公開版だけみたいです。
本国(アメリカ)はハッピーエンド版で公開され、DVDも全てハッピーエンド版だとか(怒)
ハッピーエンド版は、余韻も味わいもない、ふにゃとした締まりのない映画という印象になります。
途中までB級なりにも、そこそこ飽きない出来だっただけに残念。
あのエンディングがあったからこそ、覚えていた映画なのに。
ちなみにバッドエンドは限定のBlu-ray版に収録されている、と書いてある記事があるんですが、AMAZONでは見つかりませんでした。
そもそもパンフレットやDVDのジャケットに、女性が豹になっていくネタバレのイラストがあるんですけどね。
これ、どう考えてもバッドエンド前提ですよね?
アメリカ版だとイラストは虚偽広告になるんじゃないんでしょうか。
ちなみに最初に主人公がヒロインと2階の彼女の部屋で結ばれるシーンでは、モロー博士が外からその部屋の窓を眺めてるんです。
最初は「11才の時にシンガポールで買って、俺専用に育てた女を取りやがって」と怒ってるのかと思いました。
(モロー博士は主人公に「彼女は11歳の時に、はした金でシンガポールで買った」と説明していた)
実は「あー、豹とやっちゃったのかよーー。お気の毒様」と主人公を労わる視線だったのかもしれません。
主人公を演じるマイケル・ヨークは、「三銃士」(1973)「四銃士」(1974)で主人公のダルタニアンをピッタリ演じたぐらい、ちょっと無鉄砲で、勢いだけで生きてる爽やか系の若者を得意とした俳優。
この映画のあとぐらいから、人気が落ちましたけど。
主人公がモロー博士に監禁されて、「今度は人間を獣にする実験だ」と薬を打たれ、どんどん体中毛に覆われていき、記憶が曖昧になりながらも、織の中で自分の名前や家族や子供の頃の思い出話を独り言のように語り、人間に留まろうとするシーンは見応えがありました。
そう言えば最後に救命ボートの上で、獣人化の効果が切れた主人公はケダモノみたいな体毛もなくなり、「良かった、人間に戻れたぞ」と喜ぶんです。
だからこそ、バッドエンドの入れ替わりにヒロインがケダモノ化していくエンディングは鮮烈なんじゃないんでしょうか。
(バンドエンドに未練たらたらの僕)
モロー博士を演じるのは名優バート・ランカスター。
この人は善人も悪人も高いレベルで演じることが出来るので、モロー博士も期待に沿った怪演ぶりでした。
知的で、礼儀正しく表面の内側に狂気を秘めた感じが良かったですね。
この映画では画面には出てきますが、あまり話には絡んできません。
あのバッドエンドがなければ、飾り物と言われても仕方ない存在。
ワイルドで、ちょっと意地悪そうな、エキゾティックな顔だちが印象的なんですが、子供の頃は「この人が魅力的なのか?」と不思議に思ったものです。
でも、今回見直すと魅力的に見えるんですよ。
あーあ、俺が大人になったってことかぁ。
と、今回も自分の女性観が変わった(レンジが広くなった)ことを実感しました。
ちなみにバーバラ・カレラは「ネバーセイ・ネバーアゲイン」(1983)という007映画(大人の事情により007とタイトルが付けられない映画)で、女殺し屋を演じてます。
彼女が追い詰めたジェームス・ボンドに向かって、「今まで会った女の中で、私が一番魅力的だったって、遺言を書きなさいよ」と言う悪女っぷり全開のシーンが印象的でした。
(その後、ジェームス・ボンドのペンに仕込まれたロケット砲でバラバラになって死ぬんですけど)
監督はドン・テーラー。
「新・猿の惑星」(1971)、「オーメン2/ダミアン」(1978)と、絶対に前作が越えられない続編を、ちょっとやっつけ仕事みたいにやる人というイメージ。
まさにB級監督。
「ファイナル・カウントダウン」(1980)も監督してるんですが、僕は未見。
この映画が(恥ずかしそうに)好きっていう人を何人か見たことがあるので、是非いつか見たいと思います。
DVDは長らく廃盤だったみたいですが、先日キングレコードの「死ぬまでにこれを観ろ」シリーズで廉価版として再販されました。(僕はそれを買ったんですが、バッドエンドが見れないと知ってたら・・・しつこい?)