パグ太郎の<昭和の妖しい映画目撃者>

昭和の映画目撃談&時々その他いろいろ

【ホリデーロード4000キロ】ドタバタ過ぎて、今一つ面白くないコメディ

「アニマルハウス」(1978)を作ったアメリカのユーモア雑誌ナショナルランプーンの劇場映画第二弾「ホリデーロード4000キロ」(1983製作/1984日本公開)

公開当時、かなり期待してました。

アメリカでも大ヒットしたって話だったし。

だけど実際見たら、面白さのツボが分からない映画でした。

海外のコメディ映画で時々、こういうのあるんですよね。スピルバーグの「1941」(1979)とか。

当時の僕の感性不足なのか、それを検証してみます!

 

(あらすじ)

保険会社に勤める主人公は、家族サービスのため、新車を購入し、シカゴからカリフォルニアの遊園地までドライブに出かけようとする。しかし予約していた新車は買えず、道中でも散々な目に遭いながらも、主人公家族が憧れの遊園地を目指すのだが・・・


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これを見たのは、確か岐阜のピカデリー劇場(現在は映画館としては廃館)。

同時上映は「グレイストーク -類人猿の王者- ターザンの伝説」(1984)。こっちはすんげー、真面目な映画。相変わらず当時の岐阜の同時上映は「闇鍋感」満載です。

 

ちなみに「グレイストーク -類人猿の王者- ターザンの伝説」は、ちょっと前に公開された「類人猿ターザン」(1981)とは、全く真逆の、ターザンの人間的な成長を描いた重めの文芸ドラマでした。

これも今、見直してみたいですね~。

 

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ホリデーロード 4000キロ ポスター

ポスターの「家族揃って逆噴射!!」って今ならアウトになるかも。

元ネタは日航羽田沖墜落事故(1982/2)。

羽田空港にアプローチ中の日航機が墜落し、多くの死傷者を出した事件ですが、のちの調査で、錯乱した機長が突如エンジンを逆噴射にしたことで急失速したことが原因と判明。一躍「流行り言葉」になったのが「逆噴射」だったからです。

 

さて、「ホリデーロード4000キロ」は、当時、人気絶頂だったコメディアン、チェビー・チェイスの主演作。

真面目だけが取り柄みたいなお父さんが家族旅行で、ドタバタに巻き込まれるというコンセプトは、彼にピッタリです。

何故なら一見しっかりしてそうだけど、実はどんくさいっていうのは、彼の真骨頂。

「ファールプレイ」(1978)の正義感があって、見た目はカッコイイけど、やることなすこと失敗ばかりの刑事役は彼のベストプレーじゃないでしょうか。

 

主人公のキャスティングだけで、既に面白い予感がします。

 

だが、しかし

 

実際の映画はサッパリでした。

 

とにかく次々と笑わそうと、いろんなギャグを仕掛けてくるんですが、どれも空回り

作ってる本人たちは「これ、面白いでしょ?」ってニヤニヤしてそうですが、どのギャグも最初のとっかかりから「最後はこういうオチで笑わせるんでしょ?」って言うのがミエミエなものばかり。

 

出だしの注文した車と全然違う変な色の車が出てきて、きっと主人公、ディーラーに押し付けられちゃうんだろうなー、と思ったら、本当にそうなるし。

そんで、この車がトラブル続きのボロボロの車なんだろうなぁ、と思ったら、本当にそうだし。

 

飲み会の席で、パッと思いついたギャグを、何の捻りもせずにそのまま映画化したのかのような出来。

 

何よりもこの映画の一番ダメなところは、大筋の話自体で笑わそうとするところがないこと。

ただ単に家族旅行で、憧れの遊園地に向かう途中で変な親戚に会ったり、田舎のガソリンスタンドでぼったくられたり、といろいろあるんですが、それが旅行自体に何も影響しません。

話の根っこである旅をするっていう筋自体には捻りもなく、仕掛けもなく、面白みがないんです。

ホント、ただひたすら旅をする、それだけの話。

だからショートギャグが終われば、そこでいったん笑いも終了してしまいます。

要はイベントはいっぱいあるんだけど、どれもお飾り

一本の映画を見ている、というより、四コママンガの羅列のようなイメージでしょうか。

原案/脚本のジョン・ヒューズは僕の大好きな「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」(1986)の脚本家なんですけどね~。

この映画の脚本はちょっと残念。

 

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監督のハロルド・ライミスはコメディ役者もよくやっていて、僕は監督より「ゴーストバスターズ」(1984)などの出演の方が印象にあります。

彼のフィルモグラフィーを見ると、「サタディー・ナイト・ライブ」や「ナショナル・ランプーン」系の人脈の人っぽいです。

 

終わってみればチェビー・チェイスの「映画」っていうより、彼が出ている「バラエティー番組」のコントコーナーを見ているようでした。

 

勘違いで、常に誰かに追われるとか、もうちょっと大筋でスリリングな仕掛けでもあれば、面白かったんですけどねー。

そういう意味では「弾丸特急ジェットバス」(1976)の方がコメディとしては、ちゃんとしてたかもしれません。

 

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Blu-ray、DVD共に国内では現在、入手困難。そもそも国内版は発売されたことないのかも・・・

 

【銀河伝説クルール】お子様向けファンタジー

SFブーム中に公開された映画の一本「銀河伝説クルール」(1983製作/1984日本公開)

よくあるB級娯楽映画の一本。

プライムビデオの100円セールで見かけるまで、その存在をすっかり忘れてました

遠い記憶を辿ると、手裏剣みたい武器を持った主人公のイメージが思い出されました。

だって手裏剣なんて珍しいから。

見たことがあるのか、どうかさえ記憶にないこの映画をレビューします。

 

(あらすじ)

王子である主人公は、結婚式の当日、惑星クルールに攻めてきた侵略者ビーストの軍勢に父親と部下を皆殺しにされ、更に花嫁を奪われてしまう。悲嘆にくれる主人公だったが、賢者に導きで伝説の武器を手に入れる。そして苦難を乗り越えながら、ビーストの居城<黒い砦>を目指していく・・・


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はっきり言います。

邦題には「銀河伝説」とありますが、オープニングに何故か宇宙から敵の要塞が降りてくるシーンと、敵の兵隊がビームらしきものを撃ってくるところと、オープニングとラストのナレーションに「銀河」って出てくるところ以外は、銀河どころか、全くSF風味はありません。

 

これ、SF映画じゃなくて、ファンタジー映画。

主人公たちは馬に乗ってるし、普通にお城に住んでます。

武器は剣や斧だし。

魔法使いや一つ目巨人が出てくる、まさに剣と魔法の世界。

これ、完成してから「SFブームに乗っかろうぜ」ってことで、オープニングの宇宙のシーンと、ナレーションを付けたんじゃないか?、って疑ってます。

 

いきなり批判から入りましたが、じゃ、出来映えはどうかって言うと、ファンタジー映画としては悪くないです。

もっと正直に言います。

 

B級映画としては、まぁ、頑張ってるな、と

 

話は桃太郎タイプ。

父親と部下を皆殺しにされ、嫁さんを拉致られた主人公が、賢者の助けを借りて、仲間を集めながら、鬼ヶ島、じゃなくて敵の本拠地「黒の砦」を目指すんです。

 

仲間は脱獄してきた囚人、口先だけの魔法使い、死期を悟っている一つ目巨人等、一癖あるちょっとマンガ的なキャラだし、話の展開は伝説の武器を探したり、預言者に会いに行ったり、と謎解きしながら敵の本拠地を目指すんですが、これってまさにファミコン時代のロールプレイングゲームの実写化。

 

短めのイベントが連続するので飽きません。

ただどのイベントも盛り上がりの欠ける、緩めな感じがあります。

仲間が死んでも、一つ目の巨人以外は、あー死んじゃったのね、ってレベル。

ドキドキ感少なめ。

この辺りのお気楽さは、やっぱり初期のロールプレイングゲームの実況を見ているような感覚かなぁ。

寧ろ、ファミコンの「ファイナルファンタジー2」(1988)の方がドラマチックだったかも。

 

そんなロールプレイングゲームの実写化ですが、それなりにお金をかけて、しっかりとした美術セットや、壮大なロケなどスケール感はあり、有名な俳優は出ていないものの役のイメージに合った役者が演じてるので、安っぽさや手抜き感はありません。

 

だからと言って、素晴らしい映画になってるか、っていうとそれは別の話ですが。

 

この映画のキーである伝説の武器っていうのが、ポスターやチラシにも全面に出ている豪華な手裏剣

賢者が「これは最後の最後で使うのじゃ」と主人公に言うのを見て、観客の僕らも「すげー武器なんだろうな」って期待します。

銀河伝説クルール チラシ

 

そしてラストは、当然、伝説の武器でラスボスと対決!

手裏剣は投げたら、相手をブスっと切って、サっと主人公のところに戻ってくると思うじゃないですか。

でも手裏剣は投げられると、敵の周りで空中浮遊してるんです。

 

????

ドローンか?!?!?

 

なんと主人公が手をかざして、念力で手裏剣を遠隔攻撃!!

ラスボスの周りで緩めに動く手裏剣。

主人公は手を掲げて念じてるだけ。

 

迫力も、緊迫感もナッシング。

 

更に相手が怪獣レペルの大きさなので、こんなちっちゃな手裏剣効く気がしません。

いや、スターでは手裏剣からビームが出てるから、最後には波動砲みたいなビームで倒すに違いない!

 

そんなものは出ません。

ポスターに騙されました。

 

それでも相手にブスっと刺さるとラスボスがばったり倒れるんです!

そんな小さな手裏剣が刺さって、死ぬのか?

手裏剣が凄いっていうよりも、ラスボス弱すぎないか???

 

そしたら案の定、実はまだ生きていてました。

 

いよいよ手裏剣の奥義発動か?!!!と思ったら、念力でも戻ってこない手裏剣は放棄し、嫁さん(お姫様)との愛の力で、手から火炎放射が出るようになり、相手を焼き殺します。

 

これなら伝説の武器いらなくね?

苦労して取る必要なかったんじゃね?

 

ここだけは王道ではありませんでした。

 

ちなみにクルールというのは、この伝説の武器の名前ではありません。

彼らが住んでいる惑星の名前ということになってますが、これも出てくるのは最初のナレーションだけ。それも英語では「われらの世界、クルール」って言うだけです。

惑星なんて言ってません。どっかの国の名前だと思いますよね。

 

そもそも、それだけしか出てこないのに映画の名前を「クルール」ってする意味あるんでしょうか?

 

ちなみにラスボスの怪獣は、妙に昭和の日本の妖怪映画に出てくるような容姿(作り)をしていて、ファンタジーモノっていうより、妖怪大決戦っぽかったです。

 

総論としてはファンタジー映画としては、無難。

全体的に明るいトーンで話が進むので、話の起伏が乏しい感じがします。

若い頃のジェームズ・ホーナーの曲も全体的に明るめで、「そこは暗めの音楽で緊張感を盛り上げるゆだろ?」っていうところ、能天気な音楽が流れることが多かったのも、明るいトーンの原因の一つかも。

劇中に悲しみや絶望感がゼロなので、総じて子供向けってところかな。

大人がわざわざ見ることはないなー、っていうのが正直な感想です。

 

そんなワケで話は凡庸で、個性も刺激なく、真面目に作ってあるだけが取り柄みたいな映画なので、記憶から忘れ去られるのも仕方ないことです。

それでも、あの「ネバーエンディングストーリー」(1984)より大分マシです。

 

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そう言えば、この映画を監督したのはピーター・イエーツ

娯楽作を主戦場とし、硬派な現代劇を得意としている監督なので、この映画を担当したのはちょっと驚きでした。その後、この手の映画を作ってないので、さすがに場違いだと思ったのでしょうか。

ただ、繰り返しになりますけど、そんなに違和感のある演出もなく、ファンタジー映画としてソツなくまとめていたと思います。

 

現在はDVDは入手困難のようです。

 

【フルメタル・ジャケット】キューブリックのベトナム戦争

映像作家として映画史に名前を刻まれてるスタンリー・キューブリック監督の戦争映画フルメタル・ジャケット(1987製作/1988日本公開)。

 

僕が初めてリアルタイムで見れたキューブリック映画です。

そして見た時は半分満足、半分不満でした。

今回見直してどうでしょうか?

 

(あらすじ)

ベトナム戦争の泥沼化しつつあった頃、徴兵された主人公は海兵隊の訓練キャンプへと送られる。そこでは地獄のような訓練が待っていた。同期であるレナードは何をやってもダメな男で、担当軍曹から連日のようにシゴキを受け、更に連帯責任を取らされる仲間からも疎んじられてしまう。しかし彼は射撃に天才的な才能を見せるが、キャンプ終了の前日に事件を起こしてしまう。

報道局員に任命された主人公は、最前線での取材を命じられる。訓練キャンプの同期がいる部隊に同行し、戦場の現実を見ることになる・・・

 


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この映画を見たのは、岐阜のピカデリー劇場という映画館。

今は岐阜club-Gというイベント会場(ライブハウス?)になっています。

 

確か「フルメタル・ジャケット」は同時上映なしの単独上映だったと思います。

 

当時、「地獄の黙示録」(1979)から「奥の深い戦争映画」の流れが出来、「プラトーン」(1986)や「シンレッドライン」(1998)が生まれした。

この映画もそういった「考えさせられる戦争映画」でした。

キューブリック監督は一括りにされるのは嫌でしょうが)

フルメタルジャケット パンフレット表紙

 

パンフレットと同じデザインのポスターを、ずっと自分の部屋に飾ってました。

今でもかっこよくで好きです。

 

Born To Kill ー 人殺しをするために生まれてきた

 

海兵隊っぽいですね~

 

2時間弱の映画ですが、前編・後編に綺麗に分かれています。

前半は徴兵された若者が、鬼軍曹に地獄のような訓練を課され、兵士に仕立て上げられる話。

まぁ、理不尽なぐらい人扱いされないわけですよ。その様を徹底的に描くんです。

それも「愛と青春の旅立ち」みたいに、本当は鬼軍曹はいい人で、一緒に頑張った仲間たちとのかけがえのない絆も出来た、なんて美談には全くなってません

ひたすら非人道的な扱いを受け、片寄った思想を植え付けられるだけ。

こんなに訓練キャンプをじっくりと、且つ冷酷に描いた映画ってないんじゃないですかね?

 

この映画で一番印象に残ったシーンは?と聞かれたら、後半の戦闘シーンではなく、間違いなくこの訓練シーン。

もっと言えば「フルメタル・ジャケット」と言えば、この訓練シーンだと思ってるのは僕だけじゃないはず。

 

この映画の影響は大きく、今でも軍隊の訓練シーンと言えば、この映画がモチーフになってます。

有名になったのは軍曹の掛け声を繰り返しながらランニングするシーン、

その掛け声が全て卑猥なネタ。

 


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今までの戦争映画では描かれなかったものを描いた、という点で、キューブリック監督らしいと言えます。

そんな訓練シーンでも、ドラマがあり、特にグズで苛められる男が、射撃に特異な才能が見つかってから、精神が崩壊していく展開はオチも含めて鳥肌ものです。

 

余談ですけど、このランニングシーンは当時発売されたファミコンの戦争シミュレーション「ファミコンウォーズ(1988年発売)」がパロディとしてCMに使ってました。

 


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後半は戦争シーン。

主人公は海兵隊の報道局員として、最前線の部隊に同行することになります。

その部隊も既にグタグタで、部隊としての統率が緩い感じ。

もっと言えば米軍自体が緩い感じです。

 

休憩中の部隊は規律もなく、グタグタ。

兵隊たちのやる気になさ、厭戦気分と惰性感がめっちゃ出てます。

 

この戦闘シーンですが、ベトナム戦争なのにジャングルがほとんど出てきません

ほとんど、街中で話が進みます。

物の本によれば、ベトナム戦争って街中での戦闘もそこそこあったようです。

ジャングルの中、汚い恰好で貧相な武器しか持ってない北ベトナム軍&ゲリラというのは、完全にアメリカが作ったステレオタイプなのかもしれません。

 

そして戦闘になると一転して緊張感が高まります。

この辺りの切り替えはさすがキューブリック監督。

廃墟から狙撃手が一人の兵隊を撃つんです。

狙撃手はトドメは刺ささず、次は腕、次は足、を撃っていく。

何故か?

瀕死の仲間を助けようとする兵士を誘い出すためです。

そして近づいてくる兵士は一発で仕留める。

要は最初に撃たれた兵士はなんですね。

こえーーー

 

この廃墟のシーンが撮影されたのはイギリスなんですが、解体予定の建物を部分的に破壊して廃墟に仕立てたので、とにかくスケール感もあり、リアルです。

 

この場面に、初めて劇場に見た時から気になるシーンがあるんです。

それはレンズに炎が映りこんでいるところ。

カメラマン出身で、完璧主義者のキューブリックらしくなくて、個人的にいただけないです。

彼なら撮り直してもよさそうなんですけど、なんでそのままにしたんでしょうか。

もうあのシーンはどう頑張っても映り込むのは避けられないってことなんでしょうか。

 

ラストにアメリカ兵がミッキーマウスマーチを歌いながら、夕闇の中を進軍するシーン。

これはめっちゃ印象的で、美しいです。

ベトナム戦争という、誰もが悪夢に感じる戦争で流れる、夢の国を思い出させるミッキーマウスマーチ。このミスマッチな組み合わせが最高です。

 

全体的にレベルは高いし、「現実から目を逸らさない」キューブリックらしい視点の戦争映画だったと思います。

ただそれでも、この映画を諸手を挙げて最高と言うことはできません。

やはり致命的なのは、前半と後半で綺麗に話が分かれてしまってること。

 

一本の映画ではなく、凄く出来の良い中編映画を続けて二本見させられた感覚です。

 

だから僕が初めて見た時の感想「半分満足、半分不満」は、今回も変わりませんでした。

 

今回はPRIME VIDEOのサブスクにあったので、勢いで見てしまいました。

DVDはお手軽な値段で手に入るようです。

 

 

【マジック】不安が覆う映画。これはサスペンスか、それともホラー?

羊たちの沈黙」(1991)のレクター博士で世界的な俳優となったアンソニー・ホプキンス

でも彼は若い頃から、映画ファンの間ではそこそこ名が知れた、地味目の俳優でした。

そんな若かりし頃の彼が主演したのが今回レビューする「マジック」(1979)。

当時、渋い佳作だという評価でしたが、未見でした。

アンソニー・ホプキンス主演だから、渋いになったんだろうか?)

今や忘れられた映画ですが、レクター博士より12年前のアンソニー・ホプキンスはどんなものでしょうか?

 

(あらすじ)

主人公は、腕はいいものの、オドオドとして人を惹き付けることが出来ず、場末のバーでも観客に見て貰えない、しがない手品師だった。しかし1年後、彼はファッツと名付けたパペットを使った腹話術で手品見せることで大人気を博すようになっていた。いよいよ全国ネットのTVに出演するチャンスが巡ってきたが、彼はパペットと会話をしないと、精神の安定が得られない状態になっていた・・・


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アンソニー・ホプキンスレクター博士とは180度真逆の神経質で気の弱い手品師を演じます。

画の大半が田舎で、主要な出演者が4人という密室劇に近いこともあり、彼の常にどことなく不安定で、突然キレるかもしれない雰囲気が、終始映画を支配していて、見ている方も終始不安になります。

 

この映画はまさにアンソニー・ホプキンスの独演会です。

この映画が小作品ながら、ハイテンションを保ち続けるのは、彼の「内側には不満をため込むのに、表面は小市民」という演技が素晴らしいからです。

 

話としては、まぁ、よくある主従がひっくり返るっていうやつです。

要は日常の彼は小市民で、本音が全く言えないんだけど、パペットに本音を言わしてたら、それが観客にウケた。

 

ところがパペットに、自分の本音を混ぜて語らせてるうちに、

 

「プライベートでもパペットがいないと不安で、パペットと腹話術をしながらじゃないと、日常会話が成り立たない」

「パペットに本音を言わせないと、不安で仕方ない」

「パペットを持っていると、勝手に本音を言ってしまう」

 

という風になります。

抑圧されていた本当の自分、つまりドス黒い利己的な自分が、パペットという「抜け道」を見つけて、溢れ出てきたってことですね。

そしてパペットはどんどん毒舌になっていくき、気が付けば主人公に意見するようになっていてるんです。

つまり、パペットを操ってたはずなのに、どんどんパペットに操られる側ようになっていく主人公。

っていうか、我慢してる自分から本当の自分になっていく、ってことなのかもしれないですね。

 

しかしパペットは、毒舌で人を操るなんて、主人公の本当の姿はまるでレクター博士

さすがアンソニー・ホプキンス

 

観客はオドオドしてる主人公が、「パペット=本当の自分に命令されて、突然どんでもないことをしでかすんじゃないか」って不安になってくるんです。

途中でパペットの命令で、犬のように四つん這いで走り回って吠えてるし。(凄い自作自演)

こういう狂気の演技を見ると、後年に「羊たちの沈黙」に抜擢されるのも納得です。

 

つまりこの映画は「本音=本当の自分」と「小市民=表面的な自分」がいる、多重人格の変形もの

 

密室劇っぽいので、スケール感はないですし、出演者も地味、演出も派手さはありません。

狂気に陥ってく主人公を軸に、高校の時の片想いの相手とその旦那、マネージャーが絡んでくるんですが、話の展開上、無駄なところがほとんどありません。

片想いの相手への気持ちが狂気を加速させていくんですが、その邪魔となりそうな旦那やマネージャーの存在に「小市民側の主人公」が悩むうちに、パペット=「ドス黒い主人公」がイニシアティブを取り、立場が逆転していく展開は、見ている方の納得感が高いです。

 

ただ難を言えば、狂気に陥る様をもうちょっとじっくり見せてくれたら良かったのかな、と思います。

始まって15分ぐらいで、「ああ、こいつ完全にパペット依存症になってるな」というのが、誰にでも分かるように作られてます。

ここはもうちょっと「あれ?何かちょっと変だぞ?」ぐらいから話が始まっても良かったんじゃないんでしょうか。

まぁ、冒頭から明確に「みなさん、こいつ壊れてますよ!」宣言されてるので、すぐに見ている側は不安になるんですけどね。

 

まぁ、頭からハイテンポで観客を不安にするっていう意味では狙い通りかも。

 

ラストは主人公とパペットが同じ服装になってる、つまり最後は一心同体になってしまったってことの暗示ですね。

 

そして一心同体になったパペットが、悪魔的な言葉で主人公を追い詰めていき、ヒロインを殺させようとするんです。

あれ、やっぱりレクター博士だ。

 

ラストは何も知らないヒロインが、主人公と新たな旅立ちを無邪気に喜んでいるところでEND。

イギリス映画っぽい、ちょっと余韻のある終わり方でした。

アメリカ映画になってますが、監督、主演はイギリス人。主人公もイギリス人という設定でした)

 

脚本はアカデミー脚本賞を2回受賞している御大ウィリアム・ゴールドマン

元々娯楽色の強い映画が得意いだし、派手派手しい映画よりも内容重視系なので、この映画のクォリティーや内容重視の傾向は納得です。

 

監督のリチャード・アッテンボローは元々俳優で、大作・話題作にもいっぱい出てます。「ジュラシックパーク」(1993)にもジュラシックパークのオーナーとして出演してます。

監督としての本数も多く、大作も演出してます。僕の好きな戦争映画「遠すぎた橋」(1977)も監督してますし、「ガンジー」(1982)でアカデミー監督賞も取ってます。

この映画では、サスペンス映画に有り勝ちな思わせぶりな演出はなく、手堅目で不安と緊張感が続くような演出をしていました。

 

ヒロイン役のアン・マーグレットは70-80年代に活躍した女優。(その後もコンスタントに映画には出てます)高校時代は華があったけど、今は生活に疲れた中年女性役は、イメージ通りで良かったと思います。

 

実は意外だったのが、バージェス・メレデイス。

彼と言えば、映画「ロッキー」シリーズの情の厚い老トレーナー、ミッキー役が有名。

でも、この映画では、常に葉巻を咥え、金持ち的な傲慢さをまとうビジネス界に精通したベテランの辣腕マネージャーを演じてます。

ある意味、どちらも主人公をなだめ、すかす役ですが、この映画のマネージャーは情よりもビジネスありき。

全然違う役をバージェス・メレデイスが演じてるのが驚きでした。

(でも飄々と演じていて上手かったです)

 

確かに出演者も含めて派手さの全くない、渋い作品ですが、内容の良く練られた映画でした。

ジャンル的にはサイコ・サスペンスなんですが、あまりにもパペットが完全に別人格のようになっていくし、箱に閉じ込められたら「出してくれ~」と主人公に訴えるので、途中で

 

これは、実は二重人格の話じゃなくて、「チャイルドプレイ」(1988)みたいなホラー映画なんじゃなかろうか?

 

って疑いました。

 

それにパペットが一瞬だけ勝手に動くように見えるシーンがあるんですよ。

これ、実は監督が「本当は<生きた人形>の話かもしれないよ」っていう意図を込めた演出だったのかな?と思いました。

 

そう言えば、どこかで腹話術のシーンは実際にアンソニー・ホプキンスがやっていると読んだことがあります。

アンソニー・ホプキンス、恐るべしです。

 

今回もPRIME VIDEOの100円レンタルを利用しました。

Blu-rayはお手軽な値段で手に入るようです。

【スキャナーズ】超能力者同士はこうじゃなきゃ+西柳ヶ瀬の思い出

僕の敬愛する監督、デヴィッド・クローネンバーグ出世作スキャナーズ(1981)。

 

彼はこの後、「ザ・フライ」(1986)を作ったりしますが、僕的には「ヴィデオドローム」(1983)や「裸のランチ」(1991)の不可解ぶりが好きてした。

今では作家性の高い監督だと言われてますが、この映画は彼の作品の中でも、比較的分かり易いので、SF心があれば楽しめると思います。

 

僕は時々、思いついたように見ていて、前回は3年ぐらい前に見てるんですが、PRIME VIDEOにリストア版が配信されたので、早速見てみました!

 

(あらすじ)

浮浪者の主人公が、ショッピングセンターのフードコートで自分の悪口を言っている女性を睨みつけると、彼女は急に苦しみ出した。自分の無意識の力のせいだと悟った主人公はその場から去るが、謎の人間たちに追われて、麻酔銃で眠らされる。目を覚ますと、超能力研究者の教授から、人間に敵対する超能力者を殺害するように依頼される・・・


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この映画を(塾をサボって)初めて見たのは封切の時。岐阜の柳ヶ瀬劇場という映画館です。

この劇場があったのは西柳ヶ瀬は、大人から「あの地域には行っちゃダメ」って言われるような場所でした。

簡単に言えば「岐阜の歌舞伎町」と言える大人の夜の街です。

子供の時に「行っちゃダメ」って言われ続けたせいか、今でも西柳ヶ瀬に行くと「自分の知らない何か特別なものがあるんじゃないか」ってドキドキしますw

今はもう、昭和の頃に比べたら随分寂れてますが、昭和風情をビシビシと感じるのは良い場所です。

 

そんな地域にある柳ヶ瀬劇場の裏は真砂座というストリップ劇場

ちなみに真砂座は今も東海唯一のストリップ劇場として営業しています。

今は昭和文化の発信地として、Tシャツなどのグッズ販売したりしてるようで、サブカル系の女性のお客さんも多いようです。

(このブログのバナーは真砂座の入り口です)

 

実はこの映画を見た時、凄い経験をしました。

スキャナーズ」を見てるところで、場内に煙が入ってきて「???」となったら、急に映画が止まって「外に出てください」のアナウンス。

裏のストリップ劇場で小火があったから、今日はもう上映しないから、と出口で再入場券をもらったんです。

外に出たら、路上にストリップ劇場の踊り子さんたちが毛布にくるってました。

めっちゃドキドキしましたね。

ちなみに「スキャナーズ」は後日、再入場券で見直しました。

 

そんな思い出のある柳ヶ瀬劇場は、地域柄か元々は成人映画館でした。

ある日、突然「さらば宇宙戦艦ヤマト」(1978)が上映されてビックリした記憶があります。

当時の岐阜の中心街には一般の映画館が8館ありました。

それでも足りなくて、昭和50年代に成人映画館5館のうち3館が一般映画を上映するようになりました。

ただし柳ヶ瀬劇場を始め、そういう映画館は成人映画と普通の映画を二週間おきぐらいに交互で上映してました。

 

そんな岐阜の中心地・柳ヶ瀬も、今や4スクリーンのシネコンっぽいところと、名画座だけになってしましいました。

この映画を見た柳ヶ瀬劇場も今はありません。

柳ヶ瀬劇場が入ってたビル

上の写真は柳ヶ瀬劇場が入ってたビルです。ビルとしては今でも現役。
壁に「柳ヶ瀬劇場」の名前が残ってます。

 

西柳ヶ瀬の朝日劇場

上の写真は柳ヶ瀬劇場の入ってたビルの反対側にある成人映画の映画館。

今でも現役のようです。岐阜市では唯一残った成人映画の上映館かもしれません。

 

すみません、話が逸れ過ぎました。

 

スキャナーズ」を初めて見終わった時、真っ先に思ったのが「ただ、ただ面白い!」。

その後も数年おきに見てますが、毎回テンポのいい演出と、飽きのこない展開に飽きることがありません。

スキャナーズ パンフレット

はっきり言えば、超B級SF娯楽作

崇高な思想や、社会問題の提議なんてものはカケラもありません。

限られた予算の中で、ひたすら良質な娯楽を追求した結果、それが報われた作品です。

 

とにかくお金がない代わりに、設定や脚本、演出に力を入れてます。

 

まずこの映画の主題である超能力=見えない力を、きちんと表現しています。

広告では序盤に出てくる頭部破壊(予告編にも出てくる奴)を全面に押し出してました。

でも派手派手しい超能力は、これとラストだけかな。

あとは強く念じると相手が吹き飛ぶとか、発火するとか(手から炎が出るわけではない)、相手の心に入ってマインドコントロールするとか、そういう類いです。

 

要は超人ロックみたいに、超能力で惑星まで破壊しちゃうとか、他人に変身できるとか、そういう荒唐無稽過ぎちゃうところがないってことです。

(ちなみに「超人ロック」は大好きでした。コンウォールの嵐とか良かったなぁ)

 

話の展開的にマンガチックになるところはありますが、全体的に僕らのような人(10代で頭の中が止まっているようなSFヲタク)には、程よい「現実にありそう」的な感がだったってんですね。

(勿論、ただの僕らの妄想の基準でしかないですけど)

そういう点では、このブログで以前紹介した「フューリー」(1978)と似てます。

 

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まず主人公の設定がいいですね。

エリートでもなければ、平凡な一市民でもない。

浮浪者ですよ、浮浪者。

それもオープニングから、フードコートで他人が食べ残したポテトやハンバーガーを食べてるんです。

それを見た中年女性が自分の陰口を言うのを聞いて、ついカっとなったら、超能力が発動しちゃって、女性が苦しみ始めるんです。

でも、陰口言われても仕方ないですよね??

 

そんなワケで、いきなり主人公が浮浪者っていうのが、びっくりでした。

でも、なんで浮浪者になったかっていうと、超能力のせいで人の心の声がいつも頭の中に流れ込んできちゃうから。

一般的に言うところの電波系ってやつですね。

 

超能力を抑える薬を貰ってから、徐々に超能力者としての自覚が生まれ、見た目も普通の人になってきます。

(やや傲慢になったりしますけど)

そこからは一般人の殺し屋とのバトル、陰謀と隠された過去、逆襲、敵の超能力者との最終決戦と、1時間45分の中でコンパクトにまとまってます。

追ってるはずが、追われてたり、味方だと思ったら敵だったり、と飽きない構造になっていて、良く練ってある脚本だと思いました。

 

特にラストのオチはよく考えられてます。

へーー、って思いました。

これは見て、確認してみて下さい。

 

超能力の表現は、特殊効果をポイントポイントに絞って、効果的に表現されていて、安物感はなし。

 

難を言えば、「これぞ!」という大きな見せ場がないこと。

小さなエピソードを繋いでいく形なので、全体的な起伏が足らないように感じます。

クライマックスのバトルも、それなりに迫力はありますが、大団円!というほどではないです。

良く解釈すれば、ちょっと淡々としたところが「リアル」と言えば、「リアル」なんですが。

 

主人公役のスティーヴン・ラックは、浮浪者も、その後の超能力者も違和感なく演じ分けてます。

そんなに強そうには見えませんが、ちょっと行き過ぎな感じもする意志力を感じさせる頼もしさがあり、存在感があります。

見た目がやや地味なところがスーパー超能力者に見えなくて、この映画には合ってたんじゃないでしょうか。

 

ヒロイン役はジェニファー・オニール

大人の女性って雰囲気です。

この映画は恋愛要素ゼロなので、主人公と行動を共にする仲間。

自分も超能力を使う側で、大人しそうなのに、いざという時には主人公に負けないぐらい強力な能力を発揮する、そのミスマッチさがいいです。

 

そしてこの映画を引き立ててるのは、間違いなくマイケル・アイアンサイドが演じる冷酷な悪役超能力者。

見た目だけでなく、逝っちゃってる感じが「シャイニング」のジャック・ニコルソンにそっくり

この悪役超能力者のサイコっぷりのお陰で、「この敵は強い」と観客に印象付けたことでドラマが盛り上げました。

マイケル・アイアンサイドはこの映画で注目され、今に至るまで映画俳優として活躍しています。(「トップガン」(1986)にもパイロットの一人として出演してたのは知らなかった)

 

とにかく80年代B級SF娯楽作の中では、かなりかなりレベルが高いので、その手の映画が好きな人には是非見てもらいたいです。

まぁ、普通の映画好きの人でもちゃんと楽しめる映画だと思います。(とって付けたようですみません)

 

余談になりますが、公開時は米国のカリスマSF作家フィリップ・K・ディックの「暗闇のスキャナー」が原作って言われてました。でも内容が全然違うんですよ。「暗闇のスキャナー」の主人公は超能力者ではなく、麻薬中毒の覆面麻薬捜査官です。スキャナーという言葉しか共通点がない気がします。

フィリップ・K・ディックと言えば「ブレードランナー」(1982)の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」が有名ですね。

丁度、この頃、彼の作品「流れよわが涙、と警官は言った」の日本版が出版されるということで、SF雑誌がフィリップ・K・ディックを取り上げていた記憶があります。(出版はこの映画公開の2か月後)

だから、「暗闇のスキャナー」が原作っていうのは、当時のフィリップ・K・ディック人気に乗っかった、映画に箔を付けるためのガセ情報だったんじゃないでしょうか。

 

ちなみに「暗闇のスキャナー」は、2,006年にキアヌ・リーヴィス主演で「スキャナー・ダークリ―」というアニメのような、実写のような不思議な映像で映画化されてます。

 

そう言えば岐阜で初公開時の同時上映はボール・ニューマン主演の警官物「アパッチ砦・ブロンクス(1981)。

こちらも「忘れられた映画」っぽく、DVDも入手困難(そもそも日本版は発売されてない?)なし、レンタルやVODにもないようです。

 

今回はPrime Videoのサブスクで4Kリストア版を見ましたが、画面は確かにキレイになってました。

 

ちょっと今回は雑談部分が多かったですね~。

昭和の街に興味がある方は、岐阜市に来てみて下さい。

名古屋から電車で20-30分。駅前と柳ヶ瀬(駅前から徒歩20分ぐらい)に昭和の香りが残ってます。

 

リストア版のBlu-rayが出てますが、そこそこいい値段です。

 

【エレファント・マン】「イレイザーヘッド」の格調高き弟

僕の敬愛するデヴィッド・リンチ監督のメジャー一作目エレファント・マン(1980製作/1981日本公開)。

公開された当時は、映画史に残る文芸作のような売り込みでした。

確かにアカデミー賞候補にもなってたし。(8部門ノミネート。受賞なし)

 

でも、今では忘れられられてるのかな?

レンタルDVDになっかったり、サブスクでも扱ってるところが少ないので、なかなか気軽には見れません。

そんな「エレファント・マン」をレビューします。

 

(あらすじ)

見世物小屋で<象人間>というあだ名で見せ物となってた奇形児の主人公を、ロンドンの医師が引き取る。周りの反対を押しきって病院で面倒を見るうちに、医師は主人公が人並み以上の知性と心を持っていることを知る・・・

 


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監督は僕の大好きなデヴィッド・リンチ

この映画がメジャーデビュー作で、僕もこの映画で彼を知りました。

この映画は「実話を基にした格調高いヒューマンドラマ」とし宣伝されてたし、実際にとっても良くできた人間ドラマだったんです。

だから僕も最初はデヴィッド・リンチのことを「新進気鋭の文芸監督」と思いました。

 

それが大いなる勘違いであることを、僕はその年のうちに思い知らされます。

 

この映画のヒットにあやかって、同じ年に公開された彼のデビュー作イレイザーベッド」(1977製作/1981日本公開)。

デヴィッド・リンチが5年かけて製作した自主映画です。

それをガラガラの劇場で見た時の、恐怖にも似た衝撃は今でも忘れられません。

 

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このデビュー作には、デヴィッド・リンチの強烈なグロテスク表現と理解不能な不条理さが濃縮されてます。

この映画を見れば、手っ取り早くデヴィッド・リンチのことが理解出来ます。

でも8割ぐらいの人は、二度と彼の映画を見ようとは思わないでしょうけど

 

それに比べて「エレファント・マン」は、実話ということもあり、話としては普通の感動ドラマ。

彼の作品の中で突出して見易いです。

 

エレファントマン パンフレット表紙

うっすらとした記憶では、この映画だけはデヴィッド・リンチ味があまりないという印象でした。

パンフレットもちょっと文芸作っぽい格調高い感じです。

 

今回、「エレファントマン」を初公開以来、40年ぶりに見直して分かったのは・・・

 

この映画もやっぱりリンチワールドだった!

 

ってことです。

 

モノクロの画面に浮かぶ19世紀の猥雑としたロンドン。

貧民窟や見世物小屋、優しさの欠片もない人間たちを容赦無用なく映し出します。

普通は仄めかすだけで止めておくとか、観客が嫌な気持ちになる前に自制するんですが、デヴィッド・リンチは観客なんてお構いなく、「現実」をガンガン見せつけます。

 

血がドバドバ出るわけでも、肉が切り裂かれるわけでもありません。

でも目を背けたくなるような光景や人間の暗部を嫌というほど見せつけます

 

この心がザワザワする質感は「イレイザーヘッド」と同じだ、と思いました。

同じモノクロだし。

 

ただ「イレイザーヘッド」の方がザワザワ感は何倍も強いし、話も不条理で理解困難ので、この映画は「イレイザーヘッド」の、格調高くて、物わかりのいい弟みたいなもんです。

 

話は普通だけど、ビジュアルはリンチワールドっていうのは、この映画に続いて監督したメジャーSF大作「デューン/砂の惑星」(1984)と同じだと思いました。

 

余談ですけど「デューン/砂の惑星」のグロテスクなビジュアルイメージは、2021年のリメイク版にも引き継がれていた気がします。

ちなみにリンチ版の「デューン/砂の惑星」は個人的なベストムービーの一つで、DVDだけでなく、Blu-rayを買い直して何度も見てます。

 

さて、主人公を演じるのは「エイリアン」(1979)で最初に犠牲になる役をやったジョン・ハート (がっつり特殊メイクしてるんで、素顔は全く分かりませんが)。

彼の面倒を見る心優しき青年医師に、レクター博士ことアンソニー・ホプキンス (「羊たちの沈黙」(1991)の10年前ですけど)。

全くレクター博士と真逆のキャラですが、ピッタリです。本当に演技上手いんだなぁ。

脇もアン・バンクロフトやジョン・ギールガットといった実力派の有名俳優で固められているところも、それ以降の個性派過ぎる俳優たちを使ったリンチ作品とは一線を画してます

(「ブルーベルベット」(1986)のデニス・ホッパー「ママー!ママー!」って言いながら暴力を振るう姿は最高だった)

 

この映画には見終わったあとには「いい映画を見たなぁ」っていう、いつものデヴィッド・リンチの映画にはない満足感があります。

そういう意味で、やっぱり他のリンチ映画とは違うんでしょうね。

だから、これから見る人には「この映画を見て、感動したからと言って、デヴィッド・リンチの他の映画を見てみよう、なんてことを安易に考えない方がいい」って言いたいです。

 

この映画のテーマ曲は、東京ディズニーランドタワー・オブ・テラーでも使われてるように、TV等で時々耳にします。ちょっとトラウマになりそうな曲です。

TVゲームの「サイレントヒル」にも使われてそうな曲です。

サントラは廃盤になってるっぽいですし、サブスクにもありませんね。


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ちなみに「エレファント・マン」は映画化される前に、舞台劇になっています。

(でもこの映画は「舞台劇をベースにはしていない」そうです)

この劇は79年にロック界のカリスマスター(で、僕が大好きな)デヴィッド・ボウイが<象男>を演じて評判になりました。美形の素顔のままで演じてます。

他にも「STAR WARS」シリーズのマーク・ハミル藤原竜也さんが舞台版で「象男」を演じてます。

 


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Blu-rayは出ていますが、あまり手頃な値段ではありませんでした。

 

 

【類猿人ターザン(1981)】記憶に間違いなかった?!超凡作

子供の頃に見た映画の大半は、おおまかな印象と、どうでもいいシーンぐらいしか覚えてないです。

最近は、そのおおまかな印象が間違っているんじゃないかって思ってます。

特に「面白くない」っていう印象を持った映画は、「実は子供だったから、面白さが分からなかっただけ」なんじゃないかって疑ってます。

だから当時、「つまらなかったなー」と思った映画でも、「もう一度見てみよう!」という気の迷いが生じます。

 

そんな「当時面白くなかった」映画の一つが「類猿人ターザン」(1981)。

 

「つまらない」「監督が奥さん自慢をするために撮った映画」という印象しかありません。

そんな映画がPRIME VIDEOの100円レンタルにあったんです。

気の迷い発動。

 

さて、子供の頃の僕は間違っていたのか検証します!

(あらすじ)

子供の頃、自分と母親を捨てた冒険家の父を訪ねて、アフリカの奥地までやってきた主人公。そこで出会った父は無軌道な冒険家だったが、彼の探検に随伴することにする。その地は、人々が巨大で、強力な猿<ターザン>を恐れる場所だった・・・


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記憶では同時上映は「タイタンの戦い」(1981)。

特撮の名匠ハリー・ハウゼンの遺作で、2010年に同名タイトルでリメイク&続編が作られてます。

そんな映画と何故、この映画が同時上映かというと、きっと「たまたま公開時期が同じだったから」だけではないでしょうか。

それ以外に考えられない組み合わせです。

映画ファンとしては、どんな組み合わせでも、岐阜で一本でも多くの映画が見れるだけで有難いんですが、ちょっと複雑な気持ちです

勿論、僕の目的は「タイタンの戦い」の方。

既に見る前から「類猿人ターザン」の悪評は聞こえてましたが、入場料の元を取るために見ました。

ちなみに見たのはロイヤル劇場です。

 

出だしは普通です。

いや、往年の冒険活劇を彷彿させて、「悪くない」です。

「なんだ、僕の印象が間違ってたのか」

 

だが、そう思ったのもつかの間。

 

ヒロインが海岸ですっぽんぽんになって泳ぎだすところから、雲行きが怪しくなってきます。

とにかく彼女がひたすら美しいヌードを見せびらかします

(確かに顔も綺麗だし、プロポーションがびっくりするぐらい美しい)

だけど、さすが綺麗なヌードでも長々と見せつけられると飽きます。

それぐらい長い。

 

この後は何かと理由をつけて彼女はヌードになったり、スケスケの恰好になったりする、彼女のちょいエロいプロモーションビデオ状態

全て長い。

 

監督はヒロイン役のボー・デレクの30歳上の旦那、ジョン・デレク

製作はボー・デレク本人。

プロモーションビデオというのも納得です。

ちなみにジョン・デレクの監督作は4本ありますが、うち3本は嫁さんであるボー・デレク主演。

どんだけ嫁さん好きなんだか。

 

ともかく、そんな本筋とは関係ない長いシーンが定期的に入ってくるので、せっかくの冒険話がブツブツと細切れになって、リズムが悪くなります。

 

せっかく名優リチャード・ハリスが、主人公の父親で、いかさま臭い冒険家を怪演してるだけに残念です。

これ、リチャード・ハリス中心の映画にした方が俄然面白くなったハズです。

 

あ、それだとデレク夫妻がこの映画を作る意味なくなりますね。

 

リチャード・ハリスと言えば、晩年はハリー・ポッターシリーズのダンブルドア校長役が有名だし、ヒット作・名作に何本も主演している俳優です。

(個人的には、爆弾処理のプロを演じた「ジャガーノート」(1974)が好きです。)

 

そんな彼が何でこんな映画に出てるんでしょうか?

お金のためだったのかなぁ・・・

 

ターザンは勿論出てきます。

当然、言葉が話せないという設定なので、セリフはなし。

「オウオウオー」っていういつもの雄叫びだけです。

 

後半はターザンとジェーン(ヒロイン)が恋に落ちるんですが、薄着で川につかっているジェーンに近づいたターザン。おもむろにおっぱいを触り始めて、やがて服の中に手を入れて触るんです。

設定としては「初めて見る女性の胸に好奇心を持った」ってことなんでしょうけど、ターザンの触り方が妙にエロいです。

まぁ、どうでもいいんですけど。

 

この後も意味不明な彼女のヌードシーンが何度も出て、最後は悪の族長をターザンが倒してTHE END!かと思ったら、エンドロールで、裸のジェーンがターザンとラブラブで転げまわるシーンが延々と映し出されます。

途中で映像が消えてエンドロールだけになるのかと思ってましたが、最後の最後までラブラブヌードが映し出されてました。

 

そんなワケで主演はターザン・・・ではなく、ジェーンでもなく、ボー・デレク自身

ポスター(DBDのジャケット)も、タイトルが「類猿人ターザン」なのに、彼女のイラストだけ。

ちなみにこんなシーンないですけどね。

類人猿ターザン(1981) DVDジャケット

ちなみに日本版のパンフレットは、ちゃんと「ターザン」っぽくなってます。

こっちの方が良心的ですが、残念ながら映画の本質を表してるのはDVDのジャケットの方です。

 

類猿人ターザン パンフレット表紙

 

この映画で、彼女は最低映画に贈られるゴールデンラズベリー主演女優賞を受賞しています。

彼女の名誉のために書きますが、演技は決してド下手ではありません。中の下くらいです。

 

先に書きましたが、旦那監督、嫁さん主演でこの映画のあと、まだ二本作ってますが、どちらもゴールデンラズベリー主演女優賞と監督賞を取ってます。

(ボー・デレクはゴールデンラスベリー賞10周年記念の10年間最低女優賞も受賞しています)

 

他の二本は見たことありませんが、旦那による「嫁さんの(ちょっとエッチな)プロモーションビデオ」であることは間違いないでしょう。

 

この映画も結局、旦那がデレデレしながら俺の嫁さん、見て。こんなに若くて綺麗なんだぜ。サービスに裸も見せてやるよ」という風に撮影したと想像されます。

製作の嫁さんも嫁さんで「私って綺麗でしょ?」なのかもしれませんが・・・

ちなみに残りの2本も彼女の製作です。

 

ある意味、最強の夫婦愛かも?

 

これも庇うわけではありませんが、撮影や演出自体は悪くないし、ロケのスケール感もあります。

ちゃんとした編集者がボー・デレクのシーンを適度にカットしてれば、それなりのB級娯楽作になったと思います。ただそれだとここまで馬鹿にされることもなく、歴史に埋もれて、完全に忘れ去られたハズですけど。

 

もうボー・デレクを見るしかないネタ映画。

そりゃ子供の時の「面白くない。何も印象に残らない」というのは正しかったです。

(ヌードシーンも綺麗だけど、ドキドキ感ないから記憶に残らないです)

 

ただし今回見て発見が全くなかったワケではありません。

<ターザンの触り方がエロい>ことは新たな発見でした。

さすがに当時の僕には分からなくても仕方ないですけど(笑)

 

そう言えばターザンの相棒としてオラウータンが出てきますが、オラウータンはアフリカには生息していません。

またライオンが海辺に来て、波の中に入ってくんですが、ライオンはそんなことしないんじゃないんでしょうか?

 

そういうところがイメージ先行で、雑です。

 

これを見て、反対に同じく80年代に作られた超真面目なターザン物「グレイストーク -類人猿の王者- ターザンの伝説」(1984)が見たくなりました。

 

DVDはお手軽に入手出来るようです。

 

【ソイレントグリーン】70年代的ディストピアの名作になり損なった作品

70年代ってディストピア映画が流行ってた気がします。

当時は公害問題や東西冷戦、フラワームーブメントの終焉などがあって、みんなが未来に不安を持ってたからでしょう。

(その頃、日本でも「ノストラダムスの大予言」が流行りましたねー)

 

そんなディストピア映画の一本がソイレントグリーン(1973)

 

この映画を意識したのは、小学校の高学年~中学生でしょうか。

日曜洋画劇場水曜ロードショーが「3週連続でSF映画特集!」と名を打って放映するラインナップの一本として何度か放映されてました。

そして気が付けばTVでも放映されなくなり、忘れ去られた映画になっているので、今回レビューします。

 

(あらすじ)

2022年のニューヨーク。爆発した人口のため、大半の人々は貧しい生活を強いられ、都市部はスラム化していた。配給制のビスケットのような合成食糧で人々は生きながらえてた。そんな街で、特権階級である合成食糧会社の重役が殺害される。担当した刑事は、何か裏があると睨んで捜査をするが、やがて捜査打ち切りの命令が出る・・・


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小学生の高学年の頃には「デスレース2000年」(1975)を「死ぬまでに絶対見たい映画」に位置付けるほど、SF映画ヲタクでした。

なので「SF映画3連続放送」は絶対に見逃せない放送・・・・のハズでした。

でも、実際には3本のうち1本は見逃してるんですよ。

何故か眠くなって寝ちゃうんですね。

ソイレントグリーン」もそんな、常に眠気に負けて見そびれる不運の映画。

ちなみに他の不運な映画は「地球最後の男オメガマン」(1971)と「猿の惑星」(1968)。

どちらも目が覚めるとラストシーンになってるんです。

主人公が吸血鬼に刺されてるとか、自由の女神が砂浜に埋もれてるとか。

話の展開は分からないけど、オチだけ知ってるという、映画にとって一番ダメな見方です。

 

今、書きながら気づいたんですが、この不運な映画って、全部チャールトン・ヘストン主演!!!

 

これは偶然でしょうか?

 

十戒」(1956)「ベン・ハー」(1959)など、歴史劇・文芸作と格調の高い映画のイメージがあるチャールトン・ヘストンですが、この頃はSF映画にちょこちょこ出てました。ちなみに70年代半ばからは、今度はブームに乗ってパニック映画に結構出てました。

実は節操のない人なのかもしれません。

 

そんな彼が主演したこの映画の原作は、ハリィ・ハリスンの「人間がいっぱい」(原題は「場所を空けろ!、場所を空けろ!」)。

このタイトルから分かる通り、爆発した人口と極度の貧富の差、食糧不足がテーマです。

 

映画自体スケール感もあり、ディストピア的な雰囲気作りは悪くないです。

話はオースドックスな刑事&推理ドラマなので新味はありません。

ラストのオチも当時は驚愕の真実!とか言われてましたが、今の目で見ると「さもありなん」というところです。

 

まぁ、この手のディストピア映画の筋立ては、ディストピア感を観客に伝えるための装置だと割り切ることが出来るから、これはこれで及第点だと思います。

 

だが、しかし、そこまで揃っていても、映画としてのディストピア感がうまく伝わってこない。

 

それは全て、主演のチャールトン・ヘストンのせいです。

 

チャールトン・ヘストン演じるには、下層階級のしがない刑事という設定。

家は狭く、汚く、他の庶民と同じくまともな食事がとれません。

勤めている警察署も、署長の椅子が綻びているほど予算がなさそうです。

そんな現実に押しつぶされそうになりながらも、真実に迫っていき、最後のやるせない真実に絶望する、というのがこの筋立ての上での理想的なキャラ像。

現実社会に半分諦めた醒めたところがあっても良いです。

 

でもね、この映画のチャールトン・ヘストンは、まるで当時ヒットしていた「ダーティー・ハリー」(1971)や「フレンチコネクション」(1971)を意識しているかのような、ガサツなタフガイっぽい刑事を演じてるんです。

 

例えば事件で知り合った女の子と寝たり、疑わしい奴の家でわざと憎まれるような態度を取ったりと、ハードボイルドっぽいことをするんですが、これが似合ってない

大体、最初に殺人現場(被害者のマンション)に来た時に、いきなり被害者の物をちょろまかしたりするのんですよ。それぐらい庶民は貧しいアピールかもしれないけど、主人公がやっちゃいけません。

めっちゃ小物に見える。セコい!

 

ハードボイルドの刑事たちは「悪を追い詰めるためなら手段を択ばない」っていうガサツさであって、私利私欲を満たすガサツさじゃないんです。

 

でもこの映画のチャールトン・ヘストンは物をチョロまかすのも、女の子を抱くのも私利私欲っぽいんです。

 

更にディストピア物って、主人公が世界に逆らってでも自分の信念を持って生きようとする姿があるからこそ、彼の周りの閉鎖的な行き詰まり感が浮き上がるんじゃないでしょうか。

 

でもこの映画の彼はただ「俺を舐めるなよ」って程度。

 

これじゃディストピアで抑圧された人間でもなく、ハードボイルドのタフガイでもない、ただの能無し筋肉バカにしか見えません。

 

こんな主人公を通してディストピアを感じろっていうのは無理な話。

 

ソイレントグリーン」はチャールトン・ヘストンじゃなければ、傑作に仕上がっていたかもしれません。

 

役作りには同じタフガイでも、ディストピア世界の主人公を見事に演じた「ローラーボール」(1975)のジェームス・カーンを見習って欲しかったです。

 

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まぁ、チャールトン・ヘストンを主演にしている時点で、製作者の狙いは「ディストピアを見せる」のではなく、ディストピアでスターが大活躍!」だったんでしょう

だから監督も典型的な娯楽映画の職人リチャード・フライシャーが選ばれたんですね。

その時点で思想とか、哲学を持ち込むようなディストピア映画を期待してはいけなかったてことです。

 

反対にディストピア映画として見なければ、無難な小規模SFドラマです。

ただの映画からディストピアを抜いたら、SF映画にする意味は全くないですけど。

 

とにかく昔から期待していただけに、とっても残念な映画でした。

「子供の時に見れなかった面白そうな映画」っていう思い出のままにしておいた方が良かったですね~。

 

ポスター(DVDのジャケットも同じ)もかっこいいんですけどねー。

 

ソイレントグリーン DVDジャケット

そういえば、金持ちの家にいる美人は「部屋に備え付けの家具」という位置付けだったのは、ちょっと面白いと思いました。

主人公が彼女に「(家主が死んだから)これからどうするんだ?」っていう訊くと「新しい家主がそのまま(私を)置いてくれるみたい」といった発言がありました。

今ならセクハラ、女性蔑視と言われちゃいますかね?

 

キャストネタでは若き日のチャック・コナーズが悪役で出てました。

名を残すような俳優ではないんですが、日本のSF映画復活の日」(1980)の潜水艦の艦長役が印象に残ってます。

 

あと冒頭であっさり殺される金持ちは往年の名優ジョゼフ・コットン

僅か数分しか出演シーンがないのでカメオ出演みたいなものでしょうか。

彼を見ると、映画好きだった母親が彼が出るシーンでは必ずに「ジョセフ・コットンなんて、顔はいいけど大根役者。名優なんて褒めすぎ」と言っていたのを思い出します。

 

この映画のDVDはお手頃で手に入ります。

 

 

【未来惑星ザルドス】70年代ディストピアの一つの到達点

一応、未来世界を描いているのでSF映画ですが、映画マニアの分類は「カルト映画」

それが未来惑星ザルドス(1974)。

SF映画・カルト映画マニアの間では超有名作ですが、僕がこの映画を初めて見たのは、実は一年前でした。

SF映画ファンを自認してるくせに、こんな超有名カルト映画を長らくスルーしてたなんて失格ですね。

その時はレンタルDVDで見たんですがが、「うーん、変わった映画だけど、ちょつと退屈」っていうのが正直な印象でした。

 

それでも今回、劇場上映があると知って、「こんなカルト映画をスクリーンで見る機会は見逃せない!」と、深夜の伊勢佐木町のジャック&ベティという映画館に足を運びました。(夜9時からの一回上映)

 

さて1年前の印象は変わるのでしょうか?

 

(あらすじ)

2293年の地球。文明の失われた地上には<未開人>と言われる人々が住んでいた。そんな彼らを、空から飛来する石像を崇める<殺戮人>という呼ばれる武装集団が殺していた。

<殺戮人>のリーダーである主人公は、彼らに武器を運んでくる石像に密航する。石像が到着したのは、進んだ文明に生きる不老不死の民<永遠人>の街だった・・・


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やっぱり家のパソコンで見てのとは違いますね!

画面に集中し続けられるし、この映画の売りであるビジュアル、「空飛ぶ巨大な頭」も迫力あります。

DVDで見た時より数倍満足感は高く、このカルト映画の醸し出す世界に没入できました。

劇場で見て正解でした。

 

監督のジョン・ブアマンは、カルト映画作家に分類されることが多い人ですが、「ホーリーマウンテン」(1979)のアレハンドロ・ホドロフスキーや「ピンク・フラミンゴ」(1972)のジョン・ウォーターズのような、確信犯的カルト作家(思想家)でありません。

本人は、アーサー王伝説を真っ当に映画化した「エクスカリバー」(1981)、閉鎖的な村人に追いかけられる「脱出」(1972)、大ヒット作の続編「エクソシスト2」(1977)など、それなりに一般受けする映画を作ってるつもりなんじゃないかと思います。

ただ残念なことに、それらの映画もカルト扱いされてますが(笑)

 

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カルト扱いされてる割には、どの映画もそれなりに話は分かるので、ホドロフスキー映画のようなカルト作によくある「何言ってるか、さっぱり分からん」ということはありません。

それでもカルト臭がするのは、ブアマン監督の視点が、普通の娯楽作とちょっと違てったり、独自のスパイスを加えるからでしょう。

 

未来惑星ザルドス」も筋立て自体は、ディストピアSF物で、そんなに難しくはありません。

でもこの映画はカルトだと思います。(キッパリ)

未来惑星ザルドス ポスター

既にポスターにカルト感が出てますね

(これは宣伝担当者が確信犯なんでしょうけど)

右下に馬に乗って仮面をつけている人がいるので、空飛ぶ石像がいかに巨大か分かります。

 

映画は謎の魔術師が、暗闇の中で観客に語り掛けるところからスタート。

既に期待を裏切らないカルト感満載です。

 

果てしなく荒野が広がる世界。

文明のかけらも見られません。

空には謎の石像の頭(ザルドス)が浮遊、っていうビジュアルイメージは強烈。

当時小学生だった僕の心は鷲掴みされたワケです。

 

馬に乗った半裸の武装集団は、裸の上半身にガンベルトをたすき掛けし、メンバーの中には石像と同じ顔の仮面を被っている奴がいます。

彼らはザルドスを神と崇め、ザルドスの口から吐き出される無数の銃と弾丸を手にすると、ザルドスの「銃は善なり」という教えの下、自分たち以外の人間を何の迷いもなく殺戮しまくっています。

 

まさにカルト宗教の世界。

 

未来の地球という設定がなければ、架空世界が舞台のファンタジー物だと思うはず。

(邦題だって「未来惑星」ですから、勘違いしてもおかしくないです)

 

この石像が地上に降りた時、禁を破って中に潜り込むのが武装集団のリーダーである主人公。

石像が辿り着いたのは、見えな壁で外界から遮断された文明化された街で、住人は感情の起伏がなく、テレパシーで意思の疎通をすることも出来る不老不死の人たち。

極度な平等主義と民主主義に徹底されています。

 

そこに異物として野蛮人の主人公が紛れ込むんだけど、住人に捕まっても、何故か反抗しません。

あんなに外で殺戮し放題だった彼が、ナヨナヨした人たちに素直に従うんです。

これ、めっちゃ違和感あるんですよ。

最初は脚本が稚拙だからだと思ったんです。

 

でもこれは伏線でした

(ネタバレでごめんなさい)

 

主人公はただの野蛮人ではなく、知性もあり、この潜入も計画的であり、好奇心だけで、ザルドスに潜り込んだワケではなかったというのが徐々に分かってきます。

 

いい意味で裏切られる展開です。

 

ユートピアの中に、主人公の野性味に惹かれていく人たちが現れ、片や彼を危険視する人たちと対立していき、ユートピアがバランスを失っていきます。

 

実は徐々に主人公が潜入した時に、ユートピアは危うい状態だったことが分かります。

既に感情を完全に失くして、何も出来なくなる無気力病が流行っており、罹患している人はどんどん増えてる。

治療法はないのに不老不死なので、いつまでも無気力のまま生き続けている。

 

そして片や体制に異を唱えたり、人々と同調することを拒否した者は、加齢の刑として老人にされ、街の片隅に追いやられるが、彼らも老いたまま死ぬことが出来ない。

 

限りある命ということも含めて、人間らしさ否定した反動のように見えます。

楽園は、表面張力だけで保っている水が満杯のコップ状態だったんですね。

そこに主人公という最後の一滴が垂れたことで、一気に溢れ出てしまった、ってことです。

 

よくある「この世界は変だ!君たちは騙されてる!こんなのは人間としておかしい」って主人公が正義感を振り回して、人々の目を覚まさせるという安易なものではありません。

主人公にはそんな正義感などなく、ただただ自分の目的のために行動します。

彼の無意識が、ギリギリの保っていたユートピアを自壊させていくのです。

 

そして実は主人公を誘引とするユートピアの自壊は、冒頭の魔術師アーサー・ブラウンが仕組んだこと。

彼はこの物語の狂言回しとして登場するんですが、実は主人公を狂言回しに使った、影の主役だったんですね。

 

またアーサー・ブラウンは、最初は<永遠人>の中で革新的な考えを持った高位の人物として登場しますが、本当の魔術師でした。

このちょっとした仕掛けが、この映画を単なる今の時代から合理的に繋がるディストピアSFではなく、寓話っぽくしてるんでしょう。

 

ラストで無気力病の人たちが、焼け落ちるユートピアの中で感情を取り戻した途端、殺戮人たちに殺されるシーンにはちょっと刹那を感じました。

 

正直、科学の超進歩、生殖が不要、永遠の命、感情のコントロールによる争いのない世界、反動として意欲なし、刑罰は老化、みんなが密かに死を願っている、っていう設定は、いろんな小説や映画で使い回されいて、ユートピアとしては凡庸です。

そんな凡庸なユートピアを中の人間の視点ではなく、外部から来た野蛮人を通した物語にしたところが良かったんじゃないでしょうか。

 

主人公を演じるにはショーン・コネリー

「007/ダイヤモンドは永遠に」(1971)でジェームス・ボンド役は下りたものの、あまりにもボンドのイメージが強すぎて、この映画までの3年間で1本しか映画に出ていませんでした。

そんな行き詰まり状態を打破すべく、ジェームス・ボンドのイメージとかけ離れてるこの映画に出たらしいです。

 

長髪を後ろで束ね、髭を生やして、常にパンツ一枚の外見はかなりワイルドです。

彼以外のジェームス・ボンド役者にはなかなか真似できないでしょう。

その上で、内面ではジェームス・ボンドっぽい、抜け目のない知性を残しているので、「一見粗野だが、実は高い知性を持った男」という役柄にはピッタシでした。

 

ヒロイン役はシャーロット・ランプリング

相変わらず本性を見せない女性を演じさせると、上手いです。

ただちょっと存在感は薄かったですね。

主人公を危険視するだけで、絡みも少ないし。

彼女より、主人公をずっと擁護し続ける女性科学者の方が、ヒロイン的な存在感がありました。

 

主人公とヒロインが、墜落したザルドスの残骸の中で、二人だけで子供を産んで、育て、死んでいくラストシーンは、「新たなアダムとイブ」=世界の再生、という結びでしょうか。

やや安易ではありますが、寓話の終わりとしては悪くないです。

 

文明の行き詰まりと再生の物語としては、極めて個性的だ、70年代ディストピア映画の一つの到達点に至った映画なんじゃないかと思います

広大な自然を背景に、巨大な石像が飛び、緑に囲まれた集落の中で進んでいく物語は、同じ70年代ディストピアの名作「ローラーボール」(1975)や「時計仕掛けのオレンジ」(1971)の<現代文明がそのままドン詰まった世界>とは全く違うものを見せてくれます。

 

pagutaro-yokohama55.hatenablog.com

 

最後になりますが、この映画はクラシックの曲をモチーフとして使ってました。

先述の「ローラーボール」や「時計仕掛けのオレンジ」もクラシックを全面に使っているというのは偶然なんでしょうか。

 

未来惑星ザルドス」は残念ながら現在はDVDもBlu-rayも入手困難なようです。

 

 

【モリコーネ 映画が恋した音楽家】懐かしすぎて、また昔の映画が見たくなる

エンニオ・モリコーネ

その名前は、昭和時代の洋画ファンには映画音楽の大御所として記憶されてます。

そんなエンニオ・モリコーネのドキュメンタリー、モリコーネ 映画が恋した音楽家(2021製作/2023日本公開)が、先日公開されました。

昭和の映画で育った僕としては、これは見に行かなければいけません。

昭和の映画じゃないけど、昭和の映画関連ということでレビューを載せます。

 

(あらすじ)

ローマに生まれたエンニオ・モリコーネは、現代音楽家に師事するが、やがてTVや映画音楽の世界に身を投じていく。師や同窓の作曲家からは「映画の音楽なんかに自分を売った」と蔑まれるものの、彼は映画音楽家として邁進していく。そしてセルジオ・レオーネ監督との出会いにより、彼は世界的な映画音楽家となっていく・・・

 


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この映画、やっている映画館が少ない上に、ほとんど1日1回上映。

どうやらミニシアター系の扱いっぽいです。

それでも一部のロードショウ系の映画館が上映してくれていて、僕も横浜駅にあるムービルという老舗映画館で観ました。

 

僕にとってエンニオ・モリコーネは、「綺麗なメロディを作る、めちゃくちゃ多作な人」

もっと言えば、あんまり作品を選ばない人

 

それぐらい、多くの映画で彼の名前を目にしました。

更にジャンルにもこだわりがなく、感動の文芸作から、ホラーやSF映画、軽いコメディまで何でもあり。

(晩年、文芸作の比率が高くなったのは、周りが映画音楽家の大家って見るようになったんで、そういう仕事ばかり持ち込まれたのかも)

 

でも、どれもが完成度が高いんです。

僕も学生の時に、彼が担当した映画のサントラを探して、よく聞いてました。

さすがに初期の名作「荒野の用心棒」(1964)や「続・夕陽のガンマン」(1966)は、いろんなところで聞き過ぎて、食傷気味でしたが(笑)

 

僕にとって思い出深いのは遊星からの物体X(1982)。

(僕の大好きな)B級映画の王様ジョン・カーペンター監督のSFホラー映画。

当時、エンニオ・モリコーネがこんな映画を担当するのか、と驚きました。

Sterilization

Sterilization

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さすが、モリコーネだけあって、カーペンター監督の他の作品(基本、カーペンター監督が音楽も担当)にはない格調の高さでした。

 

何が凄いって、既に映画音楽の大家だったエンニオ・モリコーネの起用を思いつた人。

普通は結び付かないですよね。

ちなみに「遊星からの物体X」は、カーペンター監督の中で、最もスケール感があって、内容もしっかりしてました。

でも残念ながらこの映画の中では、遊星からの物体X」は1ミリも触れられてませんでしたが。

(劇中の壁にポスターが貼られてたような気はします)

 

閑話休題

 

さて、この映画の監督は「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)のジュゼッペ・トルナトーレ

本編で「当時、監督作品が1本しかなかった僕のために、エンニオ・モリコーネが「ニュー・シネマ・パラダイス」を快く引き受けて、素晴らしい音楽をつけてくれた」と感動の面持ちで語っていました。

 

完全にエンニオ・モリコーネに心酔してます。

 

彼のモリコーネ愛が全面に出ちゃったのが、この映画です。

 

ドキュメンタリーと言いながら、冒頭からエンニオ・モリコーネが床に寝転がって体操をするシーンがいろんなアングルからアップで映ります。

正直、ドキュメンタリーっぽくない始まりです。

 

その後は当時のフィルムや代表作の場面と音楽を交えながら、彼の人生を追っていく展開は、とってもまともなドキュメンタリー。

 

ただ映画音楽家としては苦労は、「この映画にどんな音楽を付けたらいいんだろう?」と悩むところぐらい。キャリア自体は順風満帆です

 

しかしドキュメンタリーとしては、「起伏」が必要なので、挫折と苦悩も描かれます。

 

前半は学生時代の師匠や同窓の現代音楽家との葛藤話。

現代音楽家の師や仲間から、「映画音楽になんか身をやつして」と格下に見られていたことが悩み。

最後は同窓の現代音楽家たちが「彼の作った映画音楽は凄い」と認めていったん決着。

 

後半はアカデミー作曲賞が取れないことが悩み(苦悩)として描かれます。

2000年までに6回ノミネートされて1度も取れず、2007年にアカデミー名誉賞を受賞。

アカデミー名誉賞とか功労賞って、頑張ったけど取れなかった人のための残念賞みたいに思えるのは僕だけでしょうか)

 

これで終わりかと思ったら、やっと「ヘイトフル・エイト」(2015)でアカデミー作曲賞を受賞。

 

実はこの苦悩のところが予想外に面白かったです。

何故なら、アカデミー賞の候補になった有名な映画の名場面と音楽が次々と取り上げられたから。

その場面を見てるだけで、「あー、この映画見たい」と思わせてくれるんです。

その中で「アンタッチャブル」(1987)が取り上げられてるんですが、劇場初公開の時、つまり36年前に、まさにこの映画を見ているムービルの、それも同じスクリーンで、それも同じような席で見たんですよ。ちょっと感激しました。

 

そういえばアカデミー賞関連でちょっと感動したことが。

アカデミー名誉賞のプレゼンターを務めたのはクリント・イーストウッド

「荒野の用心棒」と「続・夕陽のガンマン」の主演者が、その作曲者に名誉賞を渡すって粋な計らいです。

そしてアカデミー賞を受賞した時は、隣に座っていたのが重鎮ジョン・ウィリアムス。彼の受賞が発表されると、嬉しそうにおめでとうと言ってました。

ちなみにプレゼンターはクインシー・ジョーンズ

この交友関係を見て、映画ファンは嬉しくなりますよね。

 

しかし穿った見方をすれば、前半の音楽的葛藤はまだしも、後半のアカデミー賞が欲しいというのは、ちょっと贅沢な悩みで、一般人からすれば挫折というレベルとは感じられないかも。

 

監督がなんとかドキュメンタリーとして盛り上げるための工夫でしょうが、ちょっとパンチは弱かったです。

モリコーネ 映画が恋した音楽家 パンフレット表紙

クライマックスはいろいろな音楽関係者からの大賛辞大会。

映画関係のみならず、ブルース・スプリングスティーンメタリカのジェームス・ヘッドフィールドまでコメントしてます。

 

これがモリコーネを持ち上げるコメントの連発。

とにかく長い。

 

監督のモリコーネ愛が爆発し過ぎです

 

そこそこ長い映画(157分)なので、ラストは手際よくパッとまとめて、余韻を残すような終わり方が良かったんじゃないでしょうか。

 

ドキュメンタリーとしては60点ぐらい。

映画音楽に興味のない人には、ただ成功した音楽家の一生にしか見えないでしょう。

彼を知る映画ファンが感じるものの、半分も面白さを感じられないんじゃないでしょうか。

 

エンニオ・モリコーネを知る映画好き向けの映画としては80点

この映画を見れば、エンニオ・モリコーネの代表作は大体網羅されているので、彼の仕事ぶりを知ることが出来ます。

個人的にはあの映画音楽も、と思うところもあるのですが、そんなこと言ったら5時間ぐらいになりそうなので我慢です。

 

ちなみに僕が好きな彼のマイナーな作品にジャン・ポール・ベルモント主演の「Le professionnel」(1981/日本未公開)があります。

ちょっとメロディが甘すぎますが、ヨーロッパ映画っぽいのがいいです。

 


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見終わった後に、彼が音楽を担当した映画を見たくなりました。

特に「天国の日々」(1978)、「ミッション」(1986)、「1900年」(1976)、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(1984)といったアカデミー作曲賞候補になった映画だけじゃなく、「荒野の用心棒」や「続・夕陽のガンマン」もしっかりと見直してみたいです。

 

僕が彼の担当した映画を見たくなるというだけでも、この映画を見た価値があったのかもしれません。

 

最後にどうでもいいネタですが、エンニオ・モリコーネの幼少期の写真に、ドイツの珍しい洗車が映ってました。

ブルムベアという戦車で、学生の時にプラモデルを作った記憶があります。

映画を見ながら、一人で「おおお」となってました。

ドイツ戦車(第二次世界大戦) ブルムベア プラモデル箱絵

DVDはまだ公開されたばかり(今でもまだ上映している映画館があるようです)なので、発売されていません。