映画を見てトラウマになることがあります。
僕にとって、封切りの時に見た「イレイザーヘッド」(1977)や「ゾンビ」(1978)はそれに当たります。
今回レビューする「世にも怪奇な物語」(1968)もそんな一本。
小学校低学年の時に、祖母の家の板の間に寝転がりながら見たんです。
そのトラウマの正体を探ります!
(あらすじ)
第一話 奔放な金持ち女性が、自分をふった男性を死に追いやってしまった日から、奔放さが失われ、突然現れた黒い馬を溺愛するようになるが・・・
第二話 サディスティックな主人公が、いつも悪事の途中で自分そっくりの男が現れ、阻止されてしまう。ついに彼は男を殺そうとする・・・
第三話 ローマに招かれたアルコール中毒の俳優が、イタリアの人々やローマの街に翻弄され、そこから逃れようとするが・・・
エドガー・アラン・ポーの短編を、当時の有名監督三人が映像化したオムニバスです。
監督は昭和の映画好きなら知ってる名前ばかり。
ロジェ・ヴァディム(仏)、ルイ・マル(仏)、フェデリコ・フェリーニ(伊)の3人。
イタリア/フランス映画なので、監督がフランス/イタリアから選ばれてます。
この3人はホラー映画を得意としているワケではないんです。
フェリーニなんて文芸作寄りだし。
ただし3人とも語り口は一級なので、各作品とも見ていて飽きることはありません。
第一話は「黒馬の哭く館」。
監督はロジェ・ヴァディム。
この3人の中では一番娯楽作寄りの人じゃないでしょうか。
ちょっと厳しいことを言えば、監督しても名声は3人の中で一番低いかも。
代表作はエロティックSF「バーバレラ」(1967)。
主演はこの作品と同じジェーン・フォンダで、この頃は監督と結婚していました。
この監督、有名な女優とすぐに付き合っちゃうことでも有名で、ブリジット・バルドーやカトリーヌ・ドヌーブとも付き合ってます。
(ブリジット・バルドーは、二本目のルイ・マル監督の「影を殺した男」に出演してます)
この作品、舞台は中世という設定ですが、ジェーン・フォンダの衣装の不自然にエロいこと、エロいこと。
ボディラインがはっきりと出る、革のピチっとした服なんて、完全に時代考証無視の、SMです。
他にもミニスカートもどきやら、そんな衣装ばっかり。
他の出演者(特に男性)は中世らしい服装なのに、何故???っていうぐらい浮いてます。
監督が嫁さんにエロい恰好させたいマニアだったんじゃないでしょう?
更に主人公が恋をする従兄を演じてるのは、ピーター・フォンダ。
ジェーン・フォンダの実の弟です。
ラブシーンこそありませんが(話の中ではジェーン・フォンダが一方的に恋焦がれるだけで、ふられる)、恋焦がれる相手に実の弟をキャスティングするなんて、やっぱりロジェ・ヴァディムって倒錯主義者なのかもしれません。
ピーター・フォンダは、いつもはノリのいい、軽い現代的若者を得意としていますが、ここでは中世の、実直で寡黙な領主をかっこよく演じてます。
その後、ジェーン・フォンダは社会派の女優になり、アカデミー主演賞を受賞。お父さんの名優ヘンリー・フォンダに負けない大俳優になりました。
そう考えると、「バーバレラ」といい、ロジェ・ヴァディムのお色気全面の作品は、結婚も含めて、本人は黒歴史と思ってるかもしれませんね。
余談ですが、「バーバレラ」はカルトSFの名作と言われていて、根強いファンが多いです。
有名なイギリスのバンド「DURAN DURAN」のバンド名は、「バーバレラ」の悪役DURAN DURAN博士から来てます。(厳密にはバーミンガムにあるクラブ「バーバレラ」にちなんだ名前だそうですが)
弟のピーター・フォンダは、この映画の翌年、ニューシネマのアイコン作品となった「イージー・ライダー」(1969)でブレイク。
その後、B級娯楽作中心に飄々としたキャラを得意としました。
「ダーティー・メリー/クレイジー・ラリー」(1974)や「ダイヤモンドの犬たち」(1976)「アウトローブース」(1977)は、お気軽娯楽作品として面白かったです。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
この作品、悪くはないし、飽きることはないけど、出来としては70点。
他の二人と比べると、奇談を奇談らしく語るセンスに欠けています。
最後は火事で死んだ従兄の生まれ変わりと信じる愛馬と一緒に火の中に突っ込むというラストは「呪い」よりも「情念」。
「見てはいけない不思議なものを見た」という奇談に必要な余韻はなく、悲恋の女性の恋愛映画に見えちゃいます。
そもそも話自体が意外に平坦で、他の二作より起伏に欠けるので、見終わった後、頭に残るのはジェーン・フォンダの不自然な衣装だけ。
三作品の中では、一番インパクトに欠け、オマケ的な印象です。
第二話は「影を殺した男」。
通俗的には、この話が3本の中で一番面白いです。
主演は先日亡くなったアラン・ドロン。
当時33歳ですから、脂が乗っていて若々しくてカッコイイですね。
この作品ではヒーローではなく、意地悪でサディスティックな男。
よく学校で見かける「勉強も運動も出来るリーダー的いじめっ子」の役がハマってます。
なまじ容姿がいいので、上から目線のいじめっ子感が半端ないです。
そんな彼の悪事がエスカレートしていくと、必ず自分と同じ名前、同じ容姿の男が現れ、それを止める(彼の悪事を失敗に追い込む)という話。
彼の悪事が毎回ギリギリで止められる展開は、水戸黄門的。
水戸黄門的なので、2度目、3度目になると「どこで現れて、彼の悪事をどうやって止めるんだろう?」ってワクワクします。
話としては典型的な奇談。
ルイ・マル監督の滑らかで、奇をてらわない、淡々とした語り口がいいですね。
この話は筋立て自体が十分にミステリアスなので、下手に大げさに盛り上げるより不気味さがありました。
結局、最後まで自分にそっくりな男が誰なのかは説明されません。
多分、一人の人間の良心と邪心がそれぞれ分かれていて、主人公は邪心側で、行き過ぎると彼の良心が別の人間として見えるだけなのかも。
その男は影=もう一人の自分ってところでしょうか。
だから彼を殺したら、自分も同じ死に方をしてしまったんでしょう。
唯一気になったのは塔から落ちるシーン。
あからさまに人形なんです。
昭和のTV特撮(仮面ライダーとか)みたいで、残念。
ここがスタントマンの利用とカット割りの工夫で、リアリティを出して欲しかったです。
第三話は「悪魔の首飾り」。
トラウマになったのはこの話。
インパクトはこの映画の他の二本と比べて、というレベルではなく、他の映画と比べても大きいです。
三作品それぞれに監督の色が出ていますが、ずば抜けて自分の色を押し出しているのがフェリーニ。
名匠フェデリコ・フェリーニと言えば、非現実的な絵作りで有名です。
この映画でも作り物のようなわざとらしい人の配置、意味ありげで怪しげな人々の表情といった普通の何気ないシーンでさえ、作り物めいていて、非現実的に思えます。
登場人物も意味のないコメディアンや、肉感たっぷりの女優の登場など、彼の趣味が満載。
ちょっとした夢(悪夢)を見ているようです。
アルコール中毒の名優が、クリスチャンの西部劇(荒野にキリストが降臨する話!まるで「エル・トポ」(1971)!)に出演するためにローマに招かれ、酩酊して混乱した挙句、白いボールを持つ幻影の少女を追いかけて命を落とす、というシンプルなもの。
ラストシーンまでは、ただ酔っ払いが異国の地で翻弄されるだけの話です。
でも、最後に幻影の少女が彼の首を拾い、やはり悪魔は実在した、という怪談話になります。
このオチは幼い僕に恐ろしい記憶として刻まれました。
ラストシーンだけがトラウマになってると思ってたんですが、実はフェリーニの作る話全体の怪しく、禍々しい雰囲気が、ラストシーンを一層引き立てていることが分かりました。
圧倒的な奇談感。
つまりこの話全体がトラウマなんです。
幻影の少女も、普通は純粋無垢な感じの少女を使うと思うんですが、この映画に登場する少女はとっても邪悪な表情をしています。ちょっと「リング」(1988)の貞子っぽいです。
ちなみにラストシーンについて。
子供の頃、観た時は少女が主人公の頭をボールのように抱えるシーンがラストだと記憶してます。
10年ぐらい前に見返した時は、主人公の首が道路に転がるところで終わりだったので「あれ?」と思いました。
そして今回は転がった首のところに白いボールが転がっていき、少女がボールではなく、主人公の首を手に取るシーンで終わります。
最初に見た時の印象に近いですが、抱えるまでには至りません。
これは記憶違いが、それともバージョン違いが存在するのか、謎です。
(「ドクター・モローの島」(1977)のこともあるので、バージョン違いの可能性も疑ってます)
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
他にも車に乗っている主人公の首が飛ぶシーンもあったと思ったのですが、今回はありませんでした。
知っている人がいたら教えて下さい。
さて全体として、明らかにアメリカ映画のような派手さや明解さはありません。
いい意味で60年代のヨーロッパ映画の雰囲気を楽しめる良質な奇談映画でした。
古い映画でも抵抗のない人にはお勧めです。
特に「影を殺した男」と「悪魔の首飾り」だけでも見る価値はあると思います。
(「黒馬の哭く館」は飛ばしていいって書いた方がいいですか?)
新品のDVD/Blu-rayは入手できますが、ちょい高めのようです。