小学生の当時、絶対に見ることは出来ないけど、脳裏にその題名が焼き付けられた映画。
実際にあった「阿部定事件」が題材の日仏合作映画。
ワイセツか芸術かでもめた映画でもあります。
監督の大島渚さんは、松竹ヌーベルバーグの旗手の一人として、作家性の強い監督です。
だからこそ、こんな議論が起こったんじゃないでしょうか。
その問題作が今回、横浜シネマリンで上映されたので、早速見に行きました!
(あらすじ)
元女郎のさだは、料亭で中居として働き始め、そこで主人の吉の愛人となる。やがて定は店を辞め、宿屋で吉と一緒の生活を始める。さだの愛情はどんどん膨らんでいき、吉もそれを受け止め、二人は愛欲の溺れていく。さだの愛情はやがて、狂気にも似たものになっていく・・・
子供の時に、エッチ度が高くて、その時は見れなかったけど「大人になったら見るぞ」と心に誓った映画が幾つかあります。(そんなの誓うなよ・・・)
「エマニュアル夫人」(1974)、「カリギュラ」(1980)、「フレッシュゴードン」(1974)辺りがそうです。マニアックなところで「ビリティス」(1977)や「窓からローマが見える」(1982)なんていうのもありましたね。
(「フレッシュ・ゴードン」は封切の時に劇場で見ましたが)
「愛のコリーダ」もそんな映画の一本です。
このブログはそういう心に誓った映画を見る旅かもしれません。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
今回はこの映画の主演で、横浜出身の藤竜也さんが「高野豆腐店の春」(2023)という映画出演を記念して組まれた特集「藤竜也傑作選」の一本として上演されました。
横浜シネマリンは今年、大島渚監督の代表作の一本「戦場のメリークリスマス」(1983)を見た映画館でもあります。
まさか1年に2階も大島渚監督の映画を同じ映画館で見るとは思いませんでした。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
この映画って裁判になってるんですよ。
映画自体ではなく、この映画の写真集がわいせつ出版物として起訴されたことで、世間の注目を集めました。(結果は無罪)
その問題の本というのが、僕の実家にあったんですね。
親が買ってきたのではなく、知人から贈ってもらったんです。
小学生だった僕は、見ていいようないけないような感じで中を見ることはありませんでした。
今も実家のどこかにあると思うので、次回帰省したら見てみたいと思ってます。
さて、そんな情報もあって、子供の頃から「愛のコリーダはエロい映画」という認識は刷り込まれてました。
その後、「戦場のメリークリスマス」をリアルタイムで劇場で見て、大学生から社会人にかけて映画本を読んだりして、大島渚監督って凄い監督だって知りました。
だからこの映画も「ちょっとエロいシーン多めの文芸作品」だって勝手に思ってました。
ちなみに「愛のコリーダ」はNetflixで見ることが出来るんですが、やはりこういう映画は劇場に限ると思い、シネマリンに足を運んだんです。
で、結論から言うと、「ずっとヤッてるだけ」の映画でした。
いや、これ誇張ではなく、本当。
それもエッチなシーンが、普通の映画にある「綺麗な。イメージビデオみたいなエッチなシーン」ではなく、「生々しいエッチ」。はっきり言えば、AVよりも生々しいぐらいです。
エッチなシーンを見せます、というAV的な作りものっぽさはないんです。
この映画の凄いところは、主人公の二人が、本当に愛し合うが故に、人目をはばからずヤリまくる、って感じが画面からにじみ出ているところ。
だから愛欲に溺れたカップルって実際にこうなんだろうなー、と思わせるものがあるんです。
やっぱり、プロデューサーが、愛と性が一体となってるフランスの人だからかな?
(偏見???)
主人公のさだは、元女郎の女中で、女好きの遊び人である店の主人に見初められて、二人は恋に落ちるんですね。
普通、こういう設定なら純愛になってならないんですよ。お互いに色欲の百戦錬磨ですから。
でも二人の愛は純愛になってくんですよ。
まるで付き合ったばかりの高校生みたいに、いつもイチャイチャして、いつも一緒にいたくて、いつもエッチしたいみたいな。
遊び人の主人も、お手付き程度に思ってたさだとの関係に、どんどんのめり込んでいく。
さだの方も、序盤では落ちぶれた昔の客をあしらう冷酷さを見せながら、主人には乙女のような純愛を傾けていく。
しかしいつまでも、どこか遊びに人の軽やかさが抜けない主人に対して、さだはどんどん狂気の世界にずぶずぶとハマっていく。
そして最後は主人を殺してしまう・・・
「阿部定事件」を世間に知らしめたのは、さだが主人を殺し、その性器を切り取って、4日間の逃亡の間、肌身離さず持っていたことです。
でもこの映画は、さだが主人を殺したところで、あっさりと終わります。
有名な逃避行は全く描きません。
大島監督は二人の愛の突き詰め方に興味があっただけで、性器切り取りは愛情表現のクライマックスでしかなかったんでしょう。
だから切り取ったところで終了なんです。
ヤッテるだけの映画のはずなのに、この心の変遷が見事に描けてるんですよ。
実話の映画化ということで、リアリティや複雑な人間ドラマを期待しがちですが、ここにはそうものはありません。
無駄なものを徹底してそぎ落として、二人の愛欲だけにフォーカスした映画です。
一部で非現実的なシーン(芸者たちとの乱交や、そこで踊る男等)もありますが、これは、この映画が一種のおとぎ話として作られてるからかもしれません。
愛と性を分けて考えたがる(愛を崇高、性は俗)日本より、リアルに愛と性は表裏一体と考える海外の方がウケが良かったのは分かるような気がします。
こんなシンプルな話を、エロ中心にグイグイ引っ張っていく演出力は、さすが大島渚監督。
映像も綺麗だし、構図も凝ってるので、格調は高いです。
やっぱり文芸作品だと思いました。(エロだけど)
(ひょっとして未見のベルトリッチ監督作「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)もこんな感じの映画なんだろうか)
さて、主人公のさだを演じるのは、松田瑛子さん。
最初、画面に登場した時は、なんか可愛くないなぁ、そんな魅力的なのかなぁ、と思ったんですが、時間が経つにつれて可憐に見えるんですよ。
彼女の可憐な雰囲気が、主人公二人が「好きで好きでたまらない、エッチしたばっかりの高校生カップル」に見えさせてます。
その相手役は藤竜也さん。
僕にとっては大好きなTVドラマ「プロハンター」(1981)の元刑事の探偵・水原。
いつも飄々として、軽くて、冗談ばっかり言ってるけど、やる時はやる男。
実はこの映画でも、同じくいつも飄々として、余裕のある男を演じてます。
それでいて、同時にさだとは遊びではない雰囲気を出すのはさすが。
彼が演じる主人は、最後にさだが「首を絞めてもいいか?」という問いに眠気を堪えながら「いいよ。でも苦しいから、やるなら一気にやれよ」っていうのが、冗談なのか、本気なのか分からないところがいいですね。
藤竜也さん演じる主人公は、さだとは違って、ただただ「いつまでも終わらないお祭り」のような関係が良かったんでしょう。そんなちょっとしたすれ違いの雰囲気も良く出ていました。
正直、万人向けの映画ではないし、エロに抵抗がある人には全く勧めません。
でも、繰り返しになりますが、映画としては良く出来ています。
話にリアリティはないかもしれませんが、ここに描かれる男女関係はリアルです。
こういう見境のない恋愛を経験したことのある人には、かなり刺さる映画なんじゃないでしょうか。
(自分についてノーコンコメントで)
「愛のコリーダ」と言えばクインシー・ジョーンズです。
チャズ・ジャンケルという人が1980年に作った曲を、音楽界の大御所クインシー・ジョーンズがアレンジをして1981年に発売。英米でもスマッシュヒットし、日本ではオリコンの年間1位になりました。
実はこの「愛のコリーダ」というタイトルは日本のオリジナルタイトルではなく、原題がこの映画の邦題から取られた「Ai No Corrida」なんです。
ちなみにこの映画の原題(フランス語タイトル)は「L'Empire des sens」(官能の帝国)です。
このタイトルもゾクゾクしますね。
さて次は「エマニュエル夫人」ですね。(まだそれに拘るか?)
DVDはちょい高めで入手出来ます。(18禁なので、ここにはリンクが貼れないみたいです)