中年男の迷いを描いたコメディ。
監督は「ティファニーで朝食を」(1961)や「ピンク・パンサー」シリーズのブレイク・エドワース。コメディの名匠と言われてる方です。
そんな彼が作ったの大人のコメディが「テン(10)」(1979製作/1980日本公開)。
僕の記憶では「10/テン」みたいな表記だったんですが、当時のチラシでは「テン」になってましたね。
タイトルの「10」の意味は、「10点満点の美女」のこと。
主演は当時勢いのあったダドリー・ムーア。
この映画、公開時にはすこぶる評判が良かったと思います。でも未見だったので、今回見てみることにしました。
(あらすじ)
売れっ子の作曲家である主人公は、42歳の誕生パーティーで自分がこのまま衰えていくのではないかと不安に苛まれていた。パートナーとの関係もギクシャクしている時に、街の中で偶然、自分の理想に合致する女性を見かけてしまう。そこから彼は若い頃のように「女性を追い求める男」になろうとするのだが・・・
正直に言います。
そんなに面白くありませんでした。
とにかくいろんなものがチグハグ。
男性が中年になって、「俺は男として終わってしまったんだろうか・・・」っていう悩みをテーマにした、ちょっと艶っぽいコメディ、っていうコンセプトは面白そうです。
(60年代ならジャック・レモンが主演しそうな内容です)
ただ、だからと言って、街でたまたま見かけた美女を付け回したり、隣の家の若者カップルがHしているのを望遠鏡で覗き見したり、乱交パーティーに参加したり、とちょっと行動が変。
ストーカーと覗き見って「ボディ・ダブル」を思い出しました。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
要は主人公の行動が、世の中の平均的な中年男性の共感を得られないような行動ばっかりなんですよ。
せっかくテーマが「身近」なのに、映画の中で繰り広げられるのは、親近感が得られない行動ばかりする主人公。
更にそこにストーリーに不要なドタバタが入るんです。
ダドリー・ムーアって、基本はオーバーアクションの演技が似合う人なんですが、ここではやり過ぎて、非現実過ぎちゃって親近感なし。
音楽の才能以外はドジな中年という、領域を超えすぎてます。
とにかくそのドタバタが、これまた妙に長い。
時々、イラっとします。
大人の艶話っていうことで、やたらヌードで出てきます。
でも、それが効果的じゃなくて、飾り物に見えます。
それもヌードシーンが不必要に長い。
こういう話って、Hなことは「仄めかす」ぐらいにしおいて、あとは主人公や観客が勝手に想像する方がいいと思うんですけどねー。
最後のオチは、「結婚はお互いのことを尊重し合う、真面目なもので、今僕に必要なのはそれだ!」と悟り、喧嘩していたパートナーであるジュリー・アンドリュースにプロポーズし、ラブラブになってTHE END。
一見、上手くまとまってるんですが、よく考えたら、
「あれ?これって結婚するとか、しないとか、そういう話だっけ? 中年男性の悩みって結婚すれば解決するってこと?」
そうなんです、ジュリー・アンドリュースは劇中で一度も主人公に結婚してくれ、とっ迫ってるわけでもないし、主人公も結婚を拒否しているような話でもないんです。
それなのに「結婚」にオチを持ってくる理由がよく分かりません。
(あ、結婚を否定しているわけではありません)
とにかく、話の流れ、ちょっとしたシーンの見せ方、ギャグのつけ方など、どれもチグハグ。
ブレイク・エドワース監督は初期に「ティファニーで朝食を」や「酒とバラの日々」(1962)で、大人の上質なコメディで名を売った人。
その後は「ピンクの豹」(1963)から始まるピンク・パンサーシリーズで有名ですが、子供の頃、見た「ピンク・パンサー」シリーズの印象は、まさにこの映画と同じ。
脈絡のない話の展開とドタバタを繰り返す中、主演のピーター・セラーズや上司役のハーバート・ロムの個性を前面に出した(頼った)お決まりのギャグで笑わせようとする印象でした。
実は「ティファニーで朝食を」や「酒とバラの日々」は他人の脚本なんですが、この映画やピンク・パンサーシリーズはブレイク・エドワース自身の脚本なんですね。
多分、僕がこの人のお笑いの感性と合わないんだと思います。
主演に見た目は冴えないけど、中身は魅力的(時々変態的)なキャラをやらせたら抜群のダドリー・ムーア。
彼を主演に持ってきたのは、この映画のコンセプトとしては大正解。
またダドリー・ムーアは、俳優の他、ピアニスト&歌手もしており、この作曲家の役柄にはピッタリ。ピアノを弾くシーンはスタンドインなしでやってます。
ただ映画の中では設定とメイクのせいもあって、疲れたオジサン感が不要に強く(42歳ところか、62歳にさえ見える)、そのオジサンが大げさなドタバタをする姿は、時として痛々しく、彼を上手に使いこなせてるとは言えません。
この前年に出演したコメディ「ファール・プレイ」(1978)では、有名な指揮者で変態という役柄があまりにハマっていて、映画に笑いをもたらしていただけに残念です。
シングル・マザーで主人公のパートナーを演じるのはジュリー・アンドリュース。元々、舞台のミュージカル女優で、初期に出演した「メリー・ポピンズ」(1964)m「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)でも美声を披露しています。そんな二つの大ヒット映画のせいか、真面目な女性のイメージがあるんですが、この映画ではサバサバしたシングルマザーを上手く演じてます。ちょっとHな会話や主人公と抱き合うシーンもあったりしますが、全然違和感ないです。
ちなみに彼女はミュージカル女優という設定です。
旦那さん(監督のブレイク・エドワース)の配慮が感じられます。
この人、若いころに舞台で「マイ・フェアレディ」を演じてたんですが、それを見た映画プロデューサーが「この舞台を映画化しよう。でもあの主演は地味だから、別の女優にしよう」ってなって、ジュリー・アンドリュースじゃなくて、オードリー・ヘップバーンになったそうです。
この映画での魅力的に見せる演技をみたら、彼女のままでも名作になったんじゃないでしょうかね。
ちなみにウォルト・ディズニーは彼女の舞台を見て。「ジュリー・アンドリュースは凄い。彼女を主演で映画を作ろう」と思って、名作「メリー・ポピンズ」を製作したそうです。
この映画で一番輝いていたのは、タイトルロールでもある10点満点の美女を演じたボー・デレク。
終盤までセリフもなく、主人公との直接絡みもなく、ただ美しいイメージだけを振りまいてるんですが、これが手が届かない理想の女性像にピッタリ。
最後にダドリー・ムーアとラベルのボレロをかけながら、エッチしようとするシーンで、理想の女性から生身の自由奔放な女性だっていうことが分かって、いい意味で主人公を幻滅させます。
この配役はナイスでした。
実はあの凡作「類人猿ターザン」(1981)の彼女と、この映画の彼女は何ら変わるところはないんです。
でも適切な出演時間、露出度の圧倒的な違いが、印象を変えてるんでしょう。
まぁ、「類人猿ターザン」の彼女はしつこすぎたっていうのがありますが。
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コンセプトは面白そうだし、キャスティングも悪くないのですが、映画はその面白さを上手に生かせてませんでした。
(当時、アメリカでヒットしたらしいですが、やはり日本人(特に僕)とアメリカ人では笑いのツボが違うのでしょうか。)
もしこのコンセプト、キャスティングで、当時オシャレなコメディで名を馳せてたニール・サイモンが脚本を書いていたら、傑作になったんだろうなー、と思わせる、そんな映画でした。
Blu-rayはお手軽な値段で手に入ります。