ちょっとだけ見てみよう、ちょっとだけあの映画に浸かってみよう
夜中にそんな気分になる映画はザラにありません。
大好きな「ブレードランナー」(1982)や「デューン/ 砂の惑星」(1984)でも、観客として映画を見る、になってしまうんです。
その映画の世界にどっぷり入り込んで、その中にいるような感覚になれる映画。
僕にとってその一本はフランシス・F・コッポラ監督の戦争映画「地獄の黙示録」(1979製作/1980日本公開)。
最初から見始めると、大体途中で止められなくて、最後まで見てしまうんです。
(たまにヘリコプター攻撃のシーンだけ見てる時もありますが)
そして今回もレビューするともりはなく、平日の夜中に見たくなって、ファイナルカット版を再生したのが運の尽き。
3時間の旅となってしまいました。
勿論、大好きな映画ですが、やっぱり見るたびに「凄い」と圧倒されます。
そんなマリファナ的な映画をレビューします。
(あらすじ)
南ベトナムの首都サイゴンに滞在している特殊部隊の大尉である主人公に作戦命令が下る。それは陸軍の伝説的なカーツ大佐の暗殺だった。カーツ大佐は自分の部隊を率いて、ベトナムと国境を接するカンボジアに、自分の王国を作り、アメリカ軍との接触も絶っていた。
彼は小さな哨戒艇に乗り、戦場の真っ只中、カンボジアを目指し川を遡っていく・・・
オープニングは戦場の風景と酒に酔いつぶれてる男の顔がオーバーラップし、ドアーズの「The End」が静かに流れます・・・
これだけで痺れます。
神聖のようであり、禍々しくもあるオープニング。
まさにこの映画が壮麗で、儀式的なカオス(混沌)であることを表しています。
僕はこの映画を見て以来、「The End」が収録されているドアーズの1stアルバムをずーっと愛聴しています。(他にも「Break On Through」や「Light My Fire」などいい曲がいっぱい入っています)
これは戦争を見せる映画ではなく、「体験させる映画」。
戦闘が始まると、主人公以外のセリフが銃声や爆発でほとんど聞こえなくなります。
それでも話はどんどん進んでいきます。
観客がセリフや状況を理解してるかどうか、なんてお構いなし。
観ている方はただただ戦場のど真ん中に放り出され、ただ「戦場を体感」することになります。
あらすじはシンプル。
軍を脱走し、ベトナムの先のカンボジアで一緒に脱走した部隊と地元の兵士を従え、自分の王国を構えた大佐を捕獲しいくだけ。
「王国」から邪魔が入ったり、対決することはありません。
そこに辿りつくまで、ただただ不条理な戦場や戦闘を体験していくだけ。
そしてその間にプレイメイトの慰問ショーを見たり、植民したフランス人の家族と会ったりします。
個人的にフランス人の家族と交流するシーンは蛇足っぽく感じてますが(ちなみにオリジナル版にはこのエピソードはありません)、プレイメイトの慰問ショーは、まさに戦場での慰問が体感出来て、とても印象的。プレイメイトがステージで踊る時に流れるBGM、クリアデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の「Suzie Q」と相まって強烈に印象に残ります。
完全版(ファイナルカットとは別)では、この慰問の後にプレイメイトが乗ったヘリが燃料不足で不時着しているのを発見し、燃料と引き換えにプレイメイトとやらせてもらうシーンがあります。
そしてこの映画の狂気を最も表しているのが、「サーフィンやりたさ」にヘリコプター部隊でベトナム人の村を総攻撃するキルゴア大佐と彼の第一騎兵隊(ヘリコプター攻撃部隊)。
キルゴア大佐の乗るヘリコプターにはこう書かれています。
「Death from avobe」
直訳すると「天から降りてくる死神」でしょうか。
まさにヘリボーン攻撃(ヘリコプターによる地上せん滅)は、「天から降りてくる死神」。
彼らは村に近づくと、大音量でオペラを掛けます。
ワーグナー作曲のオペラ「ニーベルンゲンの指輪」4部作の第二部「ワルキューレ」の第三幕「岩山の頂き」のオープニングを飾る「ワルキューレの騎行」。
日本では、この曲は「地獄の黙示録」のお陰で一躍有名になりました。
この曲が流れる中、キルゴア大佐のヘリコプター部隊は容赦無用のない攻撃を繰り広げ続けます。
この曲とヘリコプターの爆音、マシンガンの音と爆発音しか聞こえません。
その破壊美は、観る者を恐れや興奮よりも、恍惚へと導いてしまいます。
ある意味、戦争の中毒性を伝えているんじゃないでしょうか。
そこに大儀や悲しみとか、友情とか憎しみとか、他の戦争映画で描かれたものは出てきません。
描かれるのは、ただただ狂気のみ。
これに一番近い感触の戦争映画はスタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(1987)ですね。
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指揮官不在でも、漠然と戦闘を続けるドラン橋の攻防戦を抜け、いよいよカーツ大佐の王国に入っていきます。
もうここからは宗教の世界。
主人公が自分を暗殺をしに来たのを知ってるのに、捕まえて、謎めいた話をするだけ。
結局、彼に自分を殺させるんですが、何故殺させたのか説明はありません。
冒頭から、特殊部隊の大尉でありながら、ベトナム戦争という状況に不安を感じる主人公が、旅の間にベトナム戦争の狂気と直面し、哨戒艇の中でカーツ大佐の経歴を読み、彼の考えを思案してるうちに、カーツ大佐と同じ境地に至ってしまったのかな?と思いました。
そして後継者として彼を認めたことで、自分を殺させて「一子相伝」させる、みたいな。
最後に見せる主人公の表情は、覚めた狂気を表してる気がします。
主演はエミリオ・エステベスやチャーリー・シーンのお父さん、マーティン・シーン。
公開当時は、あまり有名じゃなかったこともあり、結構批判されてた覚えたがあります。
特殊部隊の大尉なのに、冒頭の不安にかられて部屋をめちゃめちゃにするなんて弱々しい、とか。
当時は特殊部隊=マッチョで精神的にも強い、みたいなイメージがあったからだと思います。
でも、今見ると「特殊部隊だから、戦争に奥深く入りすぎて、精神を侵されてる」「戦場にいないと安心出来ない」みたいな壊れ方をしてるんだろうなぁ、だからカーツ大佐に飲み込まれていったんだろうな、と納得。
そういう人物を、マーティン・シーンは見事に体現しています。
またそんなに有名じゃないので、観客も先入観なく見れるのもいいです。
(最初はスティーブ・マックィーンだったそうですが、もし実現してたら、別の映画になってた気がします)
主人公が作戦命令を受けるシーンに、無名の頃のハリソン・フォードが出ているのは有名な話です。
なんと今回見て気づいたのが、哨戒艇で主人公と一緒に川を遡る少年兵のような若者がいるんです。これがなんと超若き日のローレンス・フィッシュバーンでした。「マトリックス」シリーズのモーフィアスです。個人的には「イベント・ホライズン」の船長です。(「イベント・ホライズン」は謎に好きな映画)
とにかく戦争を体験する圧巻の3時間です。
脚本は監督のコッポラとジョン・ミリアス。
さすがジョン・ミリアスは、シリアスな戦争や男が全面に出てくる映画の脚本を書かせたらピカ一、真骨頂です。
(反対に言えばファンタジーの「コナン・ザ・グレート」(1982)はとっても残念)
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
この映画は三種類のバージョンがあります。
オリジナル公開版、特別完全版、ファイナルカットがあります。
特別完全版が一番長くて、前述のプレイメイトのくだりを見ることが出来ます。
ただ個人的には、オリジナル公開版で十分に本質は描かれてるんじゃないかって思います。
最後にラストシーンについて。
ラストはカーツ大佐を殺害した主人公が無線でカーツ王国を爆撃するように依頼し、哨戒艇で去っていくところで終わります。
これ、最後の最後でナパーム弾でカーツの王国があるジャングルが大炎上するシーンがあったような記憶があるんです。
調べたら地方劇場を中心とした35ミリ版だけにあったようです。
(特別完全版とファイナルカットにもない)
またこの追加の爆撃シーンもコッポラによると「カーツ大佐の王国への爆撃シーン」ではなく、イメージシーンとのこと。
これについては、カーツ大佐の王国にいるジャーナリスト(デニス・ホッパー!)が「滅亡というのはメソメソやってくるものだ」というセリフがあって、爆撃で崩壊すると話が合わなくなるから、という解説を読んだことがあります。
映画好きなら一度は見て欲しい映画です。
本当は劇場で「体感」して欲しいぐらいです。
映画史に残る壮大な実験とか、映画ではなくオペラだ、と言われますが、本当にそれぐらい他の映画とは別次元のものがあるの間違いありません。
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