子供の時によくテレビの映画劇場でやってSF映画「地球最後の男オメガマン」(1971)。
吸血鬼みたいな、青白い新人類が怖かったのと、ラストで街を脱出しようとする仲間に、槍に刺された主人公が「この血清を」といって、自分の血から作った血清の瓶を渡して息絶えるところが印象的でした。
というか、それ以外のことはあまり記憶にないので、改めて見てみることにします!
(あらすじ)
世界で細菌戦争が起こった結果、人類の大半が死滅。生き残った人々も徐々に細菌に侵され、日光など強い光に当たれない体質に変化した。戦争前に軍の科学者だった主人公は、ギリギリのところで完成させた血清を自分に打ち、細菌に侵されずに済んでいた。最近に侵された人たちは「家族」と称して集団で生活し、自分たちをこんな体質に変えてしまった科学を憎み、科学者である主人公も憎んで抹殺しようとしていた。
主人公は要塞化した家に住み、毎晩襲ってくる「家族」との抗争に明け暮れていた。そんな時、主人公はまだ細菌に感染していない若者の一団と出会う・・・
原作は映像化の多い有名SF作家&脚本家のリチャード・マシスンの「地球最後の男」(1954)。
この原作はヴィンセント・プライス主演で最初の映画化(「地球最後の男(1964))がされてます。
で、この映画は2回目。そして2007年にウィル・スミス主演で「アイ・アム・ア。レジェンド」(2007)のタイトルで3度目の映画化がされるほどの人気作。
ちなみにヴィンセント・プライス版も見たのですが、ほぼ大筋は似てるものの、肌触りは全然別物。
それは何故か?
それは主演のチャールトン・ヘストンのキャラです。
軍の科学者っていう設定ですが、「科学者」よりも「軍」のイメージが強いんですよ。
とにかくマッチョで粗野。
ヴィンセント・プライスの<孤独な最後の人類>の悲壮感はなく、寧ろアーノルド・シュワルツェネッガーに繋がる「俺は最後の一人になってもお前らを倒す!」という「プレデター」(1987)に似た雰囲気がプンプン。
ちなみにヴィンセント・プライス版では「家族」は光を嫌うだけでなく、昼間は暗いところで眠るという吸血鬼っぽい存在だったので、彼は昼間は寝ている「家族」を見つけては処刑し、夜は音楽を大音量でかけて、襲ってくる家族を迎え撃つっていう生活でしたが、この映画では主人公は「家族狩り」はやりません。
昼間は映画館で好きな映画を見たり(見ている映画はウッドストックコンサートのドキュメンタリー「ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間」(1970))、好きな車を自動車販売店から持ち出して街の中をぶっ飛ばしたり、デパートで好きな服を選んだり、と自由気まま。(この辺りはウィル・スミス版に似てるかも)
そして彼の家の中は妙にゴージャスな飾りつけに、時代錯誤的な派手派手な服を着て、マネキン相手にチェスをするという、ちょっとアブない感じ。
なんか、この荒廃をした世界を楽しんでませんか?
この僕が想像した「死滅した世界に取り残された男の絶網的で、孤独な戦い」という印象とは裏腹のキャラ。
僕的にはちょっと場違い感があるんですよ。
なんか、この雰囲気、どこかで見た記憶があるなぁーと思ったら、「ソイレントグリーン」(1973)と同じでした。
あれもチャールトン・ヘストンの主人公が、ディストピア世界に似つかわしくないキャラを演じて、違和感を感じた一本でした。
pagutaro-yokohama55.hatenablog.com
話はやられても、やられても襲ってくる「家族」との攻防戦があるため、適度に全編を通して緊張感があります。
「家族」もゾンビ映画のような、知能もなにもない怪物ではなく、ただ強い光を嫌うようになり、全身が白色化しているだけで、他は人類と変わりません。
だから組織的に攻撃してくるし、攻撃方法もいろいろと工夫してきます。
また、現在、地球で多数派を占めているのは彼ら「家族」。寧ろ、邪魔ものは主人公の方なんですよね。
でも別に彼らが襲ってくるから反撃してるだけだし、たった一人しかいない人類(と、「家族」も思ってる)だから、そのまま放置しておいてもいつかいなくなるんだから、攻撃なんかしなきゃいいのに、と思うのは僕だけでしょうか。
確かにヴィンセント・プライス版みたいに、主人公が昼間に「家族狩り」をやってるなら倒す必要はあるんでしょうけど。
話は感染していない若者の集団に出会ってからテンションが高くなります。
仲間が出来て、はしゃぐ主人公。
ヒロインの女性とも恋仲になり、人生一気に変わった気になります。
しかしヒロインの弟、そしてヒロインも細菌に感染し、「家族」のようになっていく絶望感。
この辺りの畳みかけるような展開は面白いです。
そしてラストシーン。
「こっちに来い」とヒロインに語りかける「家族」のリーダー、マサイアス。
それを止めようとしてマサイアスの投げた槍に刺される主人公。
そして仲間に最後の血清を託し、感染したヒロインを救うようにお願いして息絶えます。
まだ感染したままのヒロインは、太陽の光を避けるように仲間に助けられながら車に乗り込んで去っていくところでThe End。
主人公は死に、「家族」のリーダーは生き残ったことで、これからも「家族」は大きくなっていくのでしょう。
そして血清を持って、生き残った若者は僅か数人。
いずれこの世界は「家族」のものになるのを予感させる、ほんのりと絶望感が漂う終わり方でした。
これは秀逸なんじゃないでしょうか。
最初に書いた通り、チャールトン・ヘストンの演じる主人公のやや傍若無人ぶりが、映画の狙いとミスマッチしているのは残念でした。
まぁ、その分、「家族」とのバトルは勢いがあって良いんですけど。
この映画の見どころは、やはりまだ感染していない仲間が見つかってからですね。
ここからのチャールトン・ヘストンは、仲間が出来た喜びや、仲間思いの行動もあってとっても人間味のあるキャラでした。
しかし後半の盛り上げを担ったのはチャールトン・ヘストンのキャラ変だけではありません。
それは「家族」のリーダー、マサイアスの敵役ぶりが素晴らしいから。
感染したヒロインを「家族」に誘いこもうとする等、まさにカルト教団のカリスマリーダーの雰囲気がありました。
またヒロインの弟が「彼はみんなを元に戻す薬を発明したんだ。だから和解した方がいい」という申し出を、「そんなのはこちらの結束を緩める罠だ!」と一蹴する狂気ぶりも、彼のキャラだからリアリティがあったと思います。
やっぱり敵役が魅力的な映画は面白いです。
全体をならせば、平均をやや上回るレベルの出来の作品だと思います。
ただし後半~ラストだけは80点越え。
70年代のディストピアSFの中でもかなりで出来のよい展開だったと思います。
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