今回は前回のダン・オバノンつながりで。
取り上げるのは子供の時に見たくて、見たくて仕方がなかったゾンビ映画「ゾンゲリア」(1981)。
本当に見たくて、見たくて仕方なかったんですよ。
だって脚本はあのダン・オバノン。
有名な、看護婦が包帯グルグル巻きの男の目に注射器を刺すシーンの写真だけでも十分に刺激的です。
でも当時、劇場で見れなかなくて、ずーっと見たいなぁ、って思い続けてました。
そんなワケで今回、意を決して宅配レンタルをすることにしました!
(あらすじ)
田舎町の海辺で写真を撮っている男に、一人の女性が声をかける。彼女の写真を撮っているうちに、彼女が服を脱ぎ誘ってきた瞬間、男は村人たちに襲われて火をつけられる。なんとか一命をとりとめたが、海辺にいた女が看護婦として病室に現れ、彼の目に注射器を突き刺して殺害する。
保安官である主人公は、自分の妻が学校で男からカメラの機材を買ったという情報を得るが、校長にそんな男など知らないと言われる。続いてヒッチハイクの家族も村人に殺害される事件が起こる。
主人公は偶然出会った交通事故で被害者の皮膚を採取する。その皮膚の人物を調べると数か月前に死んでいることが判明した・・・
「バタリアン」(1985)の時にも書きましたが、ダン・オバノンは名作SF「エイリアン」(1979)、カルト作「ダーク・スター」(1974)の脚本家、(この人、「スター・ウォーズ」(1977)にも関わってます)
僕には憧れの人です。
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何故、初公開時に劇場で見れなかったかというと、当時、岐阜ではこの映画は上映されなかったからです。
一番近くで上映されていたのは、隣の大垣市。
電車で30分ぐらいのところなんですが、足が向かなかったんですね。
(当時、同じ電車で30分の名古屋には映画を見るために頻繁に出かけていってたんですが・・・)
昔、残酷シーンだけ集めた雑誌の紹介やタイトルを見て、バリバリの正統派ゾンビ映画だと思ってました。
しかしあのダン・オバノンがそんな誰もが作るような正統派のゾンビ映画を作るワケはありません。
「バタリアン」で気づくべきでした。
ストレートに結論。
あの時、大垣まで行かなくて良かった。
正直、かなりタルいです。
カルト的名作という人もいますが、何が面白いのか、僕にはさっぱり分かりません。
これはゾンビ映画に分類されることもあるようですが、どう見ても下敷きになってるのはゾンビ映画ではなく、かのラヴクラフトの「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」。
映画化タイトルは「ZOMBIO/死霊のしたたり」(1985)。
医学会を追われた、マッドサイエンティストが死体蘇生実験を行ってるという大筋は一緒。
(原作を読んでないので、違ってたらごめんなさい)
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この映画の甦った死体は人間を食べるどころか、普通に生活してます。
全く生きてる人間と変わりはありません。
そんな話なので、前述の目に注射器を刺すといった残酷シーンは出てきますが、全編を通して、とっても静かに、そして退屈に進んでいきます。
何故、死んだと思われた人間が生きてるのか?何故、村人は集団で外部から来た人間を殺すのか?っていう謎があるんですが、これが全くサスペンスになってないんです。
↑ 有名な注射器を刺す看護婦。刺される人はそんなに重要な人物ではありません。
それは主人公である保安官が謎解き役としてイマイチだから。
ヒントがあると「これはどういうことだ!」という程度で、全く推理らしい推理をしません。
脳筋です。
お陰で謎もヒントも散らかしっぱなしです。
途中で嫁さんがいろいろ怪しげな行動をしてるんですが、問い詰めて「そんなワケないじゃないのぉ」って言われると、「そうだよな」というデレデレぶり。
まぁ、そんな嫁さん大好き主人公なので、ラストで、嫁さんも元死人、自分も実は元死人、更にそんな自分を殺したんのは愛する嫁さん、と分かった時のショックシーンは盛り上がりました。
そう考えると、この映画って実は恋愛映画だったのかもしれません。
そもそも話に納得感のなさが目立ちます。
嫁さんが黒魔術にハマってるらしいと分かるのですが、死人復活に黒魔術か絡んでるか最後まで分かりませんでした。
だって裏で死体蘇生をやってるのが、学会を追放された科学者ですよね?
普通に考えたら「ZOMBIO/死霊のしたたり」みたいにナッドサイエンティスが、科学の力で復活させてると思いますよね??
また学校教師の嫁さんが「生徒たちの学芸会の映像だから」って、主人公に現像をお願いするフィルムには、彼女が主人公を殺すシーンが映ってるんですが、なんでそんなものをワザワザ主人公に現像させて、見せるように仕向けたのか?
説明がなくて全く理解不能です。
主人公も蘇生者だった、っていうのが全く生きていません。
蘇生者でした、って分かっても観客は「あー、そうでしたか」っていうレベル。
これ、ちゃんとミステリー風に扱えば、十分面白い仕掛けになったハズ。
例えば途中から自分が知らないはずのことを思い出すとか、奇妙な行動をするとか、観客に「あれ?」って思わせる要素をばら蒔いておけば、ラストのネタ明かしで、「なるほど~。だからあんな行動をしてたんだ」ってなるんですけど。
この辺りは「シックス・センス」(1999)を見習って欲しいです。
(「シックスセンス」の方が後だけど)
繰り返しになりますが、コンセプト自体は悪くなんいんですよ。
絶対にミステリーとしてちゃんと仕上げれば、それなりに面白い作品になったはず。
なのに、本格的に謎解き展開になるのはほぼ終盤。
それまではただ「謎があるぞーー、不気味だぞー」と伝えるだけです。
本来はミステリーは、ヒントを手にして謎を解いたら、続く謎が出てきて・・・というのを繰り返すうちに、本当の謎の答えに辿り着くっていう作りじゃないと。
そんなワケでミステリーでありながら、謎解きの醍醐味を完全に放棄しているのが致命傷でした。
あー、この映画はゾンビ映画でもなく、ミステリー映画でもなく、主人公と嫁さんのミステリー風味の恋愛映画だったのかもしれません。
だとしたら、絶対見たいなんて思わなかったなー。
そんなワケで、「バタリアン」の時に感じた「思っていたのたは違うけど、面白かった!」っていう満足感はありません。
「思っていたのとは違うし、つまらない」
それが全て。
ダン・オバノンとしては、当時流行っていたゾンビ・スプラッター映画とは一味も二味も違う映画を作るつもりだったんでしょうが、出来上がった映画は無味乾燥でした。
とりあえず、名前が知れてる、カルト・ホラーは全部押さえとかなきゃ、という信念に燃えるマニア以外にはお勧めしません。
あー、「見たいなぁ」のままにしとけば良かった。
ちなみに日本語版予告編は、流行りのホラーとして盛り上げたいけど、嘘はつききれない正直さを感じる、涙ぐましい出来です。
日本語ポスターも涙ぐましく、ホラー感を無理やり出してます。
DVDは今でもお手頃で入手出来るようです・・・