パグ太郎の<昭和の妖しい映画目撃者>

昭和の映画目撃談&時々その他いろいろ

【恐竜・怪鳥の伝説】主役がとっても残念な日本流ジョーズ???

小学生の時、今は亡き豊富東映という、東映映画の封切館に掲げて立った看板を見ながら、こう思ったんです。

「怪獣じゃなくて、恐竜と怪鳥じゃ、ちょっとなぁ」

 

タイトルもストレート過ぎて、子供へのアピールが全然足りない気がしました。

その映画っていうのは「恐竜・怪鳥の伝説」(1977)

 

結局、子供心に「そそられる」ものはなく、親に連れてってくれとねだることなくスルーしました。

でも何故かタイトルが、50年経った今でも頭に残ってるんです。

そういう意味でストレート過ぎるタイトルは正解だったのかもしれません。

 

そんな私的幻の映画を、今回レビューしました。

 

(あらすじ)

富士・青木ヶ原の樹海で地下洞窟に転落した女性が見たのは、巨大なタマゴとその割れから覗き見る巨大な目だった。洞窟から逃げ出した彼女の話を誰も信じなかったが、若き地質学者の主人公は、それが恐竜ではないかと思い、青木ヶ原に向かう。同じ頃、富士五湖の一つ、西湖では竜神祭りの準備が行われていたが、湖では人が行方不明になる事件が起きていた・・・

 


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意外だったのは、子供向け映画だと思ったら、実は大人向け映画だったこと。

同じ70年代のゴジラが明らかに子供向けだったので、てっきり同じ路線かと思ったら違ってました。

 

日本の怪獣物というより、アメリカのモンスター系パニック的です。

主人公がいくら恐竜の可能性を力説しても、地元は村祭りで浮かれていて、誰も怪物のことなんて信じないうちに、少しづつ犠牲者が増えていき・・・という展開は、「ジョーズ」(1975)っぽいなぁ、と思ったら、wikipediaによれば、当時の東映の社長が「今度はジョーズみたいな映画だ!」とぶち上げて作られた映画だったみたいです。

他にもお約束の「恐竜なんているわけがないだろー。お前、バカか?」っていうエラソーな生物学者が出てきたり、モンスター系パニック映画のセオリーを踏んでるところが多かったですね、

ジョーズ」の丸パクリではなく、「ジョーズ」の骨子を生かしつつ、他のパニック映画のエッセンスも入れて、更に竜神伝説や子守歌といった日本的なものを混ぜてるところが好感が持てます。

話の進め方も、当時の他の日本映画と比較すると、あまり情緒にとらわれない、ドライな感じがします。

主人公と恋人のシーンになると、当時主流の昭和歌謡的なムードになるんですが、反対に浮いてました。

 

そんなワケで当初は子供向けとして企画されてたようですが、出来上がった映画は大人向け娯楽作でした。

子供が見ても、面白みをほとんど感じない部分が多いんじゃないでしょうか。

 

主人公はカネ目当てに恐竜を探してる、ちょい悪なところはオリジナリティがありましたね。また配役も、ちょいワル役を得意としてた渡瀬恒彦さんがいかにもって感じで演じてました。

あと「仮面の忍者・赤影」の白影こと牧冬吉さんが、重要な脇役で出演していて、懐かしかったです。

ヒロインを演じたのは沢野火子さんという方ですが悪くもなく、良くもなくというレベル。正直に言えば華がなく、存在感は薄かったですねー。

寧ろ、ちょい役のお調子者の若者や村長の方が印象に残ってます。

 

さて、この映画の本当の主役、恐竜・怪鳥はどうだったかというと・・・

 

相当、残念。

 

恐竜の造形にはお金もかけてるし、頑張ってるっていう話でしたが、「お金」や「頑張る」だけではどうにもならないことを証明するような出来。

造形自体にリアル感はないし、動きにもリアル感なし。

一番ダメなのは、バラエティ番組に出てきそうな恐竜と怪鳥のデザイン

あの目はリアリティなさ過ぎでしょう。

撮影のアングルなどで工夫をしてますが、それでも限界はあります。

 

当時の東映は、カルト的な人気のある「宇宙からのメッセージ」(1978)や名作SF(オカルト?)「魔界転生」(沢田研二版/1981)を作ったりしてるのでSFマインドはあったと思うんですけど、怪獣物のノウハウはなかったってことでしょうか。

 

そして終盤に恐竜と怪鳥の対決=怪獣プロレスになります。

ここはやはり子供の観客を集めたかったということでしょうか。

実は「恐竜・怪鳥」というタイトルに騙されて、ここまで我慢して見ていた子供へのご褒美なのかもしれませんね。

 

こう言っちゃなんですけど、話の大半は恐竜と怪鳥の二つも不要なんです。

どっちか一匹だけで事足りる話なんです。

だから、二匹が必要なのは、この対決シーンだけ。

それまでこの二匹がいがみ合ってるシーンがないので、突然戦い出すのは超不自然。

この怪獣が二匹出てきたら、問答無用で即バトル!っていうのは、そもそも東宝ゴジラシリーズの十八番ですが、あっちはまがりなりにも善悪の対決とか、地球侵略怪獣を倒すとか、大義名分(?)があるんですけど、この映画にはないです。

 

そしてクライマックスは、この恐竜と怪鳥の対決・・・ではなく、富士山大噴火。

恐竜は地面の割れ目に落ちていき、怪鳥は噴石にボコボコ当たって終わり。

え?何のためにバトルしたのか余計に意味不明に・・・

 

ただし、この富士山大噴火は演出・特撮共に迫力がありました。

その中を主人公とヒロインが(恐竜と怪鳥そっちのけで)逃げようとする展開は、パニック映画っぽいです。

ただしモンスター系ではなくて、災害系ですけど。

 

だがそれも途中からBGMに昭和的ロックなバラードが流れ出すと、雰囲気が一気に懐かしの昭和映画ムードに。

ラストは主人公が溶岩の中に落ちそうなヒロインを助けようとするシーンなんですが、これがやたら長い。何度も何度も手を伸ばして届かないっていうのを延々とやります。

やっと手と手が繋がったと思ったら、そこで「終」のマークが。

え?ちゃんと助かるところまでやろうよ、って突っ込みたくなります。

普通のパニック映画なら助かった二人が「あの恐竜たちも自然の犠牲者だったのか」みたいなセリフで締めないと。

 

この映画、見終わっても、スッキリしないんですよ。

それは登場人物たちが何一つ行動を起こしてないから。

だって恐竜たちが人を食べて、富士山大噴火で死んで終わり。

 

どんなパニック映画でも、登場人物というか人間が問題を解決しようとして苦労し、最後に結果を出す(怪獣退治とか)ところにカタルシスがあるんです。

それがこの映画には全くありません。

 

日本人的な諸行無常感、自然に対する無力感を表したってことなんでしょうか???

 

最後に主題歌や挿入歌が、ちょっとポップで、映画には不似合いな昭和ロックでした。

この頃は「HOUSE」(1977)のゴダイゴ、「キタキツネ物語」(1978)の町田義人さんやタケカワユキヒデさん、「人間の証明」(1977)のジョー山中さんといったロック系の人が主題歌や挿入歌を担当することが多かった気がします。

 

調べてみたらこの映画の主題歌「遠い血の伝説」を歌っている宮永英一さんは、なんと70年代の伝説的ハードロックバンド「紫」のメンバーでした!

この曲、ちょっとプログレっぽい要素もあって、意外にカッコいいです。


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頑張ってるところは多いので、肝心の恐竜さえもうちょっとしっかりしてれば・・・と思われる映画でした。

「何かそそられない」という子供の頃の直観は正しかったようです。

 

DVDはまぁ、廉価版ではないですが、お手軽な値段で入手出来ます。