70年代後半~80年代にハードロックブームの洗礼を受けた人たちにとって、オジー・オズボーンは別格の存在。
特に彼の最初の2枚のアルバム「ブリザード・オブ・オズ」(1980)と「ダイアリー・オブ・ア・マッドマン」(1981)は金字塔です。
その2枚を金字塔にしたのが当時24歳の無名だった天才ギタリスト、ランディ・ローズ。
天才的な曲作りと高い技術で一躍スターギタリストの仲間入りを果たしたものの、1982年3月19日に飛行機事故で他界。未だに根強い信奉者が多い、伝説のギタリストです。
そんな彼の生涯を追ったドキュメンタリー「ランディ・ローズ」(2022)が昨年11月に日本で公開され、僕も遅ればせながら2023年1月に横浜のシネマリンで見てきました。
80年代の記憶ということでコメントをアップします!
(あらすじ)
音楽家の母親の影響で幼少からギターに慣れ親しんだランディ・ローズは、やがて高校時代の友達(ベース)とバンドを組み、ボーカリストを迎えることでバンド・クワイエット・ライオットとなる。クワイエット・ライオットはLAのライブハウスで評判となり、同じ時期にライブハウスで演奏していたヴァン・ヘンレインのライバルと目されていた。しかしヴァン・ヘイレンがレコード契約を得たのに対し、クワイエット・ライオットはいつまでもレコード契約が取れずにいた。日本のみで2枚のレコードを出したが、アメリカでの契約は取れず、ランディは知り合いの紹介でオジー・オズボーンのオーディションを受け、合格。スターダムへと昇っていくが・・・
僕らからするとランディ・ローズって、「オジー・オズボーンのギタリスト」。
でもこのドキュメンタリーは、オジー時代より前の、プロ契約出来なかったクワイエット・ライオット時代がメイン。オジー時代は最後の1/3あるか、ないかなんです。
多分、ここは僕だけでなくロックファンは大いに不満のあるところでしょう。
それはさておき、クワイエット・ライオット時代の動画って意外に残ってるんですね。
そしてギターソロの時にオジーの一枚目「ブリザード・オブ・オズ」に収録されてる「GoodBye to Romance」の元ネタみたな演奏がありました。
見終わった後に調べたら、なんとyoutubeにランディ時代のフルセットのライブ映像がありました。youtube、すげー。
(ちなみにこっちの動画では「Crazy Train」のイントロっぽい演奏も聴けます)
半面、オジー時代のライブ映像はほとんど出てきません。出てきてもリハーサルシーンや写真ばかり。
オジー時代の秘蔵映像を期待していた僕(というか、きっと観客のほとんど)はガッカリ。
またオジー時代の楽曲は一切出てきません。
「Crazy Train」が大ヒットになった、と説明するシーンに、オジーの曲が全く流れず、全然別の曲が流れたのは違和感あり過ぎです。
これ、楽曲や映像使用権が下りなかったのか?と思って、調べたらその通りでした。
このドキュメンタリー、2007年に完成したんですが、ランディ・ローズの遺族から許可が下りずお蔵入り。
ランディ・ローズ没後40周年を記念して監督が、遺族の許可を得ずに再編集。
オジーには楽曲の使用許諾をお願いしたみたいですが、オジー側が拒否。
遺族にもオジーにも許諾がなきゃ、オジー時代の秘蔵映像なんて無理ですよね。
これはランディ・ローズのドキュメンタリーを作る上で致命的です。
またインタビューもパンチが足りません。
だって、内容はランディを褒めるか、ちょっとユーモアのあるエピソードを紹介する、結婚式のスピーチみたいなものばかり。
衝撃度ゼロ、サプライズ度ゼロ。
この辺りがドキュメンタリーとして中途半端感満載です。
元々、オリジナルが2007年の作品っていうのもありますが、インタビューも過去のTV映像からの抜粋とか古いものばかり。
フランキー・バネリ(2020年没)のインタビューは出てくるし、ルディ・サーゾは当時在籍してたDIOのTシャツを着ています。
前述のようにランディを褒めるコメントばかりなので、内容には見るべきものはありません
敢えて言えば、この人は今!みたいなところですかね。
オジーがインタビュー(ランディについて語った番組からの抜粋)で、呂律の回らないヘロヘロだとか、おしゃれでカッコ良かったスローターのダナ・ストラムが、小汚い感じのおっさんになったりとか。
その中でもランディ・ローズの兄ケル・ローズが一番印象深かったですね。
確か80年代にローズってバンド名でアルバムを二枚ぐらいだしてたと思うんですよ。
明らかにランディ・ローズ人気に乗っかった感じの活動でした。
その当時からランディ・ローズの華奢な、少女漫画的なルックスとは異なり、ケル・ローズはがっちりとした野郎系のルックスだったんですが、このドキュメンタリーに出てきたケル・ローズは、あごと首の境目が全くない巨漢の醜いおっさんになってました。
この映画を見てたら、ランディ時代のクワイエット・ライオットの曲は、意外に面白そうだと思いました。
そこで初めて日本だけで発売になったスタジオ盤を聞いみたんですよ。
ちょっとピンとこない出来てした。
ホント、ライブ映像で聞く曲はそこそこいいように聞こえます。
典型的なライブの勢いをスタジオで再現できないバンドだったんじゃないでしょうか。それじゃ、デモを作っても契約は取れないです。
そこそこ曲がいいと書きましたけど、映画の中で当時のLA界隈ではヴァン・ヘイレンのライバルと言われてたのに(当時の日本の雑誌でもそういう風に紹介されてた)、大きく水をあけられてしまったと言うのは、どうでしょう?
だってヴァン・ヘイレンと比べると、明らかに作曲能力に差がありすぎだから。
ヴァン・ヘイレンのファーストアルバム「炎の導火線」のような唯一無二の個性はなく、普通のアメリカンロックの範疇のレベル。
この映画の中でランディが「前のバンドではボーカリストとの曲作りに苦労をした(思ったような曲を書けなかった)」みたいなことを言ってましたが、ケヴィン・ダブロウの音楽的才能不足が、このバンドの足かせだったんじゃないでしょうか。
また映画の中に出てくる当時の映像を見るとフロントマンとしての煽りも、ヴァン・ヘイレンのフロントマン、デイヴ・リー・ロスに比べたら全然垢ぬけてません。
ここでもケヴィン・ダブロウのフロントマンとしての才能不足が、足かせになってるように思えました。
ヴァン・ヘイレンがライバルだった、っていうのは盛ってませんか?
ランディ・ローズがクワイエット・ライオットで成功しなかったのは、ケヴィン・ダブロウのせい、ってことなですかね?
でも言い換えれば、ケヴィン・ダブロウのせいでクワイエット・ライオットが成功しなかったから、ランディはオジー・オズボーンに引き抜かれたわけで、あの歴史的名盤2枚が生まれたのはケヴィン・ダブロウのお陰とも言えます(笑)
ちなみにネットで調べたら、クワイエット・ライオットってまだ活動してるんですね。
ケヴィン・ダヴロウも、90年代に実質バンドのリーダーだったフランキー・バネリも亡くなったんでとっくに解散してると思ってました。
当然オリジナルメンバーは誰もおらず、80年代の黄金期のメンバーだったベースのルディ・サーゾがいるみたいです。(ちなみにルディは72歳だそうです)
もう実質クワイエット・ライオットではないんじゃないでしょうか。
しかし、ランディ時代にあんなに頑張ってもレコード契約が取れなかったのに、こんな状態でも、40年前にアルバムが全米ナンバーワンになったっていうことだけでレコード契約があるのは皮肉ですね。
ランディ・ローズの生涯からすればオジーとの最後の2年間より、苦労をしたクワイエット・ライオットの4年間の取り扱いが大きくなるのはドキュメンタリーとして仕方ないのかもしれません。
良心的に作ってあると思いますが、やっぱりロックファンへのアピール度は高くないと言わざるを得ない作品でした。
なお、前売券についていたポストカードの裏面には、ランディ・ローズが日本のファン向けに書いた直筆メッセージが印刷されてました。